に、わが家のそれと異《ことな》らずよく似たり。実《げ》によき水ぞ、市中《まちなか》にはまた類《たぐい》あらじと亡き母のたまいき。いまこれをはじめならず、われもまたしばしばくらべ見つ。摩耶と二人いま住まえる尼君の庵なる筧の水もその味《あじわい》これと異るなし。悪熱のあらむ時三ツの水のいずれをか掬《むす》ばんに、わが心地いかならむ。忘るるばかりのみはてたり。
「うんや遠慮さっしゃるな、水だ。ほい、強いるにも当らぬかの。おお、それからいまのさき、私《わし》が田圃《たんぼ》から帰りがけに、うつくしい女衆が、二人づれ、丁稚《でっち》が一人、若い衆が三人で、駕籠《かご》を舁《か》いてぞろぞろとやって来おった。や、それが空駕籠じゃったわ。もしもし、清心様とおっしゃる尼様のお寺はどちらへ、と問いくさる。はあ、それならと手を取るように教えてやっけが、お前様用でもないかの。いい加減に遊ばっしゃったら、迷児《まいご》にならずに帰《けえ》らっしゃいよ、奥様が待ってござろうに。」
と語りもあえず歩み去りぬ。摩耶が身に事なきか。
二
まい茸《だけ》はその形細き珊瑚《さんご》の枝に似たり。軸白くして薄紅《うすべに》の色さしたると、樺色《かばいろ》なると、また黄なると、三ツ五ツはあらむ、芝茸はわれ取って捨てぬ。最も数多く獲たるは紅茸なり。
こは山蔭の土の色鼠に、朽葉黒かりし小暗《おぐら》きなかに、まわり一|抱《かかえ》もありたらむ榎《えのき》の株を取巻きて濡色の紅《くれない》したたるばかり塵《ちり》も留めず地《つち》に敷きて生《お》いたるなりき。一ツずつそのなかばを取りしに思いがけず真黒なる蛇の小さきが紫の蜘蛛《くも》追い駈《か》けて、縦横《たてよこ》に走りたれば、見るからに毒々しく、あまれるは残して留《や》みぬ。
松の根に踞《つくば》いて、籠のなかさしのぞく。この茸《きのこ》の数も、誰《た》がためにか獲たる、あわれ摩耶は市に帰るべし。
山番の爺がいいたるごとく駕籠は来て、われよりさきに庵の枝折戸《しおりど》にひたと立てられたり。壮佼《わかもの》居て一人は棒に頤《おとがい》つき、他は下に居て煙草《たばこ》のみつ。内にはうらわかきと、冴えたると、しめやかなる女の声して、摩耶のものいうは聞えざりしが、いかでわれ入らるべき。人に顔見するがもの憂ければこそ、摩耶も予もこの庵には籠《こも》りたれ。面《おもて》合すに憚《はばか》りたれば、ソと物の蔭になりつ。ことさらに隔りたれば窃《ぬす》み聴かむよしもあらざれど、渠等《かれら》空駕籠は持て来たり、大方は家よりして迎《むかい》に来《きた》りしものならむを、手を空しゅうして帰るべしや。
一同が庵を去らむ時、摩耶もまた去らでやある、もの食わでもわれは餓えまじきを、かかるもの何かせむ。
打《うち》こぼし投げ払いし籠の底に残りたる、ただ一ツありし初茸《はつたけ》の、手の触れしあとの錆《さび》つきて斑《まだ》らに緑晶《ろくしょう》の色染みしさえあじきなく、手に取りて見つつわれ俯向《うつむ》きぬ。
顔の色も沈みけむ、日もハヤたそがれたり。濃かりし蒼空《あおぞら》も淡くなりぬ。山の端《は》に白き雲起りて、練衣《ねりぎぬ》のごとき艶《つやや》かなる月の影さし初《そ》めしが、刷《は》いたるよう広がりて、墨の色せる巓《いただき》と連《つらな》りたり。山はいまだ暮ならず。夕日の余波《なごり》あるあたり、薄紫の雲も見ゆ。そよとばかり風立つままに、むら薄《すすき》の穂|打靡《うちなび》きて、肩のあたりに秋ぞ染むなる。さきには汗出でて咽喉《のんど》渇くに、爺にもとめて山の井の水飲みたりし、その冷《ひやや》かさおもい出でつ。さる時の我といまの我と、月を隔つる思いあり。青き袷《あわせ》に黒き帯して瘠《や》せたるわが姿つくづくと※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》しながら寂《さみ》しき山に腰掛けたる、何人《なにびと》もかかる状《さま》は、やがて皆|孤児《みなしご》になるべき兆《きざし》なり。
小笹ざわざわと音したれば、ふと頭《かしら》を擡《もた》げて見ぬ。
やや光の増し来《きた》れる半輪の月を背に、黒き姿して薪《たきぎ》をば小脇にかかえ、崖《がけ》よりぬッくと出でて、薄原《すすきはら》に顕《あらわ》れしは、まためぐりあいたるよ、かの山番の爺なりき。
「まだ帰らっしゃらねえの。おお、薄ら寒くなりおった。」
と呟《つぶや》くがごとくにいいて、かかる時、かかる出会の度々なれば、わざとには近寄らで離れたるままに横ぎりて爺は去りたり。
「千ちゃん。」
「え。」
予は驚きて顧《みかえ》りぬ。振返れば女居たり。
「こんな処に一人で居るの。」
といいかけてまず微笑《ほほえ》みぬ。年紀《とし》は三十《みそじ》に近か
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