なすった時は、もうとっぷり暮れて、雪が……霙《みぞれ》になったろう。
麓《ふもと》の川の橋へかかると、鼠色の水が一杯で、ひだをうって大蜿《おおうね》りに蜒《うね》っちゃあ、どうどうッて聞えてさ。真黒《まっくろ》な線《すじ》のようになって、横ぶりにびしゃびしゃと頬辺《ほっぺた》を打っちゃあ霙が消えるんだ。一|山《やま》々々になってる柳の枯れたのが、渦を巻いて、それで森《しん》として、あかり一ツ見えなかったんだ。母様が、
(尼になっても、やっぱり寒いんだもの。)
と独言《ひとりごと》のようにおっしゃったが、それっきりどこかへいらっしゃったの。私は目が眩《くら》んじまって、ちっとも知らなかった。
ええ! それで、もうそれっきりお顔が見られずじまい。年も月もうろ覚え。その癖、嫁入をおしの時はちゃんと知ってるけれど、はじめて逢い出した時は覚えちゃあいないが、何でも摩耶さんとはその年から知合ったんだとそう思う。
私はね、母様がお亡くなんなすったって、それを承知は出来ないんだ。
そりゃものも分ったし、お亡《なく》なんなすったことは知ってるが、どうしてもあきらめられない。
何の詰《つま》らない、学校へ行ったって、人とつきあったって、母様が活《い》きてお帰りじゃあなし、何にするものか。
トそう思うほど、お顔が見たくッて、堪《たま》らないから、どうしましょうどうしましょう、どうかしておくれな。どうでもして下さいなッて、摩耶さんが嫁入をして、逢えなくなってからは、なおの事、行っちゃあ尼様《あまさん》を強請《ねだ》ったんだ。私あ、だだを捏《こ》ねたんだ。
見ても、何でも分ったような、すべて承知をしているような、何でも出来るような、神通《じんずう》でもあるような、尼様だもの。どうにかしてくれないことはなかろうと思って、そのかわり、自分の思ってることは皆《みんな》打《うち》あけて、いって、そうしちゃあ目を瞑《ねむ》って尼様に暴れたんだね。
「そういうわけさ。」
他《ほか》に理窟もなんにもない。この間も、尼さまン処《とこ》へ行って、例のをやってる時に、すっと入っておいでなのが、摩耶さんだった。
私は何とも知らなかったけれど、気が着いたら、尼様が、頭を撫《な》でて、
(千坊や、これで可《い》いのじゃ。米も塩も納屋にあるから、出してたべさしてもらわっしゃいよ。私《わし》はちょっと町まで托鉢《たくはつ》に出懸けます。大人しくして留守をするのじゃぞ。)
とそうおっしゃったきり、お前、草鞋《わらじ》を穿《は》いてお出懸《でかけ》で、戻っておいでのようすもないもの。
摩耶さんは一所に居ておくれだし、私はまた摩耶さんと一所に居りゃ、母様のこと、どうにか堪忍が出来るのだから、もう何もかもうっちゃっちまったんさ。
お前、私にだって、理窟は分りやしない。摩耶さんも一所に居りゃ、何にも食べたくも何ともない、とそうおいいだもの。気が合ったんだから、なかがいいお朋達《ともだち》だろうよ。」
かくいいし間《ま》にいろいろのことこそ思いたれ。胸痛くなりたれば俯向《うつむ》きぬ。女が傍《かたわら》に在るも予はうるさくなりたり。
「だから、もう他《ほか》に何ともいいようは無いのだから、あれがああだから済まないの、義理だの、済まないじゃあないかなんて、もう聞いちゃあいけない。人とさ、ものをいってるのがうるさいから、それだから、こうしてるんだから、どうでも可いから、もう帰っておくれな。摩耶さんが帰るとおいいなら連れてお帰り。大方、お前たちがいうことはお肯《き》きじゃあるまいよ。」
予はわが襟を掻《か》き合せぬ。さきより踞《つくば》いたる頭《かしら》次第に垂れて、芝生に片手つかんずまで、打沈みたりし女の、この時ようよう顔をばあげ、いま更にまた瞳を定めて、他のこと思いいる、わが顔、瞻《みまも》るよと覚えしが、しめやかなるものいいしたり。
「可《よ》うござんす。千ちゃん、私たちの心とは何かまるで変ってるようで、お言葉は腑《ふ》に落ちないけれど、さっきもあんなにゃア言ったものの、いまここへ、尼様がおいで遊ばせば、やっぱりつむりが下るんです。尼様は尊く思いますから、何でも分った仔細《しさい》があって、あの方の遊ばす事だ。まあ、あとでどうなろうと、世間の人がどうであろうと、こんな処はとても私たちの出る幕じゃあない。尼様のお計らいだ、どうにか形《かた》のつくことでござんしょうと、そうまあねえ、千ちゃん、そう思って帰ります。
何だか私もぼんやりしたようで、気が変になったようで、分らないけれど、どうもこうした御様子じゃあ、千ちゃん、お前様《まえさん》と、御新造様《ごしんぞさん》と一ツお床でおよったからって、別に仔細はないように、ま私は思います。見りゃお前様もお浮きでなし、あっちの
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