町まで托鉢《たくはつ》に出懸けます。大人しくして留守をするのじゃぞ。)
 とそうおっしゃったきり、お前、草鞋《わらじ》を穿《は》いてお出懸《でかけ》で、戻っておいでのようすもないもの。
 摩耶さんは一所に居ておくれだし、私はまた摩耶さんと一所に居りゃ、母様のこと、どうにか堪忍が出来るのだから、もう何もかもうっちゃっちまったんさ。
 お前、私にだって、理窟は分りやしない。摩耶さんも一所に居りゃ、何にも食べたくも何ともない、とそうおいいだもの。気が合ったんだから、なかがいいお朋達《ともだち》だろうよ。」
 かくいいし間《ま》にいろいろのことこそ思いたれ。胸痛くなりたれば俯向《うつむ》きぬ。女が傍《かたわら》に在るも予はうるさくなりたり。
「だから、もう他《ほか》に何ともいいようは無いのだから、あれがああだから済まないの、義理だの、済まないじゃあないかなんて、もう聞いちゃあいけない。人とさ、ものをいってるのがうるさいから、それだから、こうしてるんだから、どうでも可いから、もう帰っておくれな。摩耶さんが帰るとおいいなら連れてお帰り。大方、お前たちがいうことはお肯《き》きじゃあるまいよ。」
 予はわが襟を掻《か》き合せぬ。さきより踞《つくば》いたる頭《かしら》次第に垂れて、芝生に片手つかんずまで、打沈みたりし女の、この時ようよう顔をばあげ、いま更にまた瞳を定めて、他のこと思いいる、わが顔、瞻《みまも》るよと覚えしが、しめやかなるものいいしたり。
「可《よ》うござんす。千ちゃん、私たちの心とは何かまるで変ってるようで、お言葉は腑《ふ》に落ちないけれど、さっきもあんなにゃア言ったものの、いまここへ、尼様がおいで遊ばせば、やっぱりつむりが下るんです。尼様は尊く思いますから、何でも分った仔細《しさい》があって、あの方の遊ばす事だ。まあ、あとでどうなろうと、世間の人がどうであろうと、こんな処はとても私たちの出る幕じゃあない。尼様のお計らいだ、どうにか形《かた》のつくことでござんしょうと、そうまあねえ、千ちゃん、そう思って帰ります。
 何だか私もぼんやりしたようで、気が変になったようで、分らないけれど、どうもこうした御様子じゃあ、千ちゃん、お前様《まえさん》と、御新造様《ごしんぞさん》と一ツお床でおよったからって、別に仔細はないように、ま私は思います。見りゃお前様もお浮きでなし、あっちの
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