手は、段々堅く板戸へ喰入るばかりになって、挺《てこ》でも足が動きません。
 またちらりと招く。
 招かれても入れないから、そうやって招くのを見るのが、心苦しくなって来たので、顔を引込《ひっこ》まして、門《かど》へ身体《からだ》を横づけに、腕組をして棒立ち――で、熟《じっ》と目を睡《ねむ》って俯向《うつむ》いていました。
 この体《てい》が、稀代に人間というものは、激しい中にも、のんきな事を思います。同じ何でも、これが、もし麓《ふもと》だと、頬被《ほおかぶり》をして、礫《つぶて》をトンと合図をする、カタカタと……忍足《しのびあし》の飛石づたいで………
(いらっしゃいな。)
 と不意に鼻の前《さき》で声がしました。いや、その、もの越《ごし》の婀娜《あだ》に砕けたのよりか、こっちは腰を抜かないばかり。
(はッあ。)
 と言う。
(さあ、どうぞ。)
 と何にも思わない調子でしたが、板戸を劃《くぎり》に、横顔で、こう言う時、ぐっと引入れるようにその瞳が動いたんです。」
「これは、どちらの御婦人で、」
 と先達は、湯を注《さ》しかけた土瓶を置く。
「それを見分けるほど、その場合落着いてはいられませんでした。
 敷居を跨《また》ぐ時、一つ躓《つまず》いて、とっぱぐったじき傍《わき》に、婦人《おんな》が立ってたので、土間は広くっても袖が擦れて、
(これは。)
 と云うと…………
(お危うございます、お気をつけ下さいまし。)
(どうもつい馴《な》れませんので、)
 と言いましたがね、考えると変な挨拶《あいさつ》。誰がこんな処を歩行馴《あるきな》れた奴がありますか。……外から見える縁側の雨戸らしいのは、これなんでしょう、ずッと裏庭へ出抜けるまで、心積《こころづも》り十八九枚、……さよう二十枚の上もありましたろうか、中ほどが一ヶ所、開いていました。――そこから土間が広くなる、左側が縁で、座敷の方へ折曲《おれまが》って、続いて、三ツばかり横に小座敷が並んでいます。心覚えが、その折曲《おれまがり》の処まで、店口から掛けて、以前、上下の草鞋穿《わらじば》きが休んだ処で、それから先は車を下りた上客が、毛氈《もうせん》の上へあがった場処です。
 余計なことを言うようですが、後《あと》の都合がありますから、この屋造《やづくり》の様子を聞いて下さい。
 で座敷々々には、ずらり板縁が続いているのが薄明り
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