ですが、」
「はあ、それがお酌を参ったか。」
「いいえ、世話をしてくれましたのは、年上の方ですよ。その倒れていた女は――ですね。」
「そうそうそう、またこれは面被《めんかぶ》りじゃ。どうもならん、我ながら慌てて不可《いか》ん。成程、それはまだ一言も口を利かずに、貴辺《あなた》の膝に抱かれていたて。何をこう先走るぞ。が、お話の不思議さ、気が気でないで急立《せきた》ちますよ、貴辺は余り落着いておいでなさる。」
「けれども、私だって、まるで夢を見たようなんですから、霧の中を探るように、こう前後《あとさき》を辿《たど》り辿りしないと、茫《ぼう》として掴《つかま》えられなくなるんですよ。……お話もお話だが、御相談なんですから、よくお考えなすって下さい。
――その円髷《まるまげ》の、盛装した、貴婦人という姿のが、さあ、私たちの前へ立ったでしょう。――
膝を枕にしたのが、倒れながら、それを見た……と思って下さい。
手を放すと、そのまま、半分背を起した。――両膝を細《ほっそ》りと内端《うちわ》に屈《かが》めながら、忘れたらしく投げてた裾《すそ》を、すっと掻込《かいこ》んで、草へ横坐りになると、今までの様子とは、がらりと変って、活々《いきいき》した、清《すずし》い調子で、
(姉《ねえ》さん、この方を留めて下さい、帰しちゃ厭《いや》よ。)
と言うが疾《はや》いか、すっと、戸口の土間へ、青い影がちらちらして、奥深く消え込んだ。
私は呆気《あっけ》に取られた。
すると、姉さんと言われた、その貴婦人が、緊《しま》った口許《くちもと》で、黙って、ただちょいと会釈をする、……これが貴下、その意味は分らぬけれども、峠の方へ行《ゆ》くな、と言って………手で教えた婦人《ひと》でしょう。
何にも言わないだけなお気がさす。
(ええ、実は……)
と前刻《さっき》からの様子を饒舌《しゃべ》って、ついでに疑《うたがい》を解こうとしたが、不可《いけ》ません。
(ああ、)
それ覗《のぞ》くまでもなく、立ったままで、……今暗がりへ入った、も一人の後《あと》を軒下にこう透《すか》しながら、
(しばらくどうぞ。)
坂を上って、アノ薄原《すすきはら》を潜《くぐ》るのに、見得もなく引提《ひっさ》げていた、――重箱の――その紫包を白い手で、羅《うすもの》の袖へ抱え直して、片手を半開きの扉へかける、と厳重に出
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