沙汰ですが、思いの外時刻が早く、汽車で時の間《ま》に立帰りましたのを、何か神通で、雲に乗つて馳《は》せ戻ったほどの意気組。その勢《いきおい》でな、いらだか、苛《いら》って、揉《もみ》上げ、押摺《おしす》り、貴辺が御無事に下山のほどを、先刻この森の中へ、夢のようにお立出《たちい》でになった御姿を見まするまで、明王の霊前に祈《いのり》を上げておりました。
それもって、貴辺が、必定、お立寄り下さると信じましたからで。
信じながらも、思い懸けぬ山路《やまみち》に一人|憩《やす》んでござった、あの御様子を考えると、どうやら、遠い国で、昔々お目に懸《かか》ったような、茫《ぼう》とした気がしまして、眼前《めのまえ》に焚《た》きました護摩《ごま》の果《はて》が霧になって森へ染み、森へ染み、峠の方《かた》を蔽《おお》い隠すようにもござった。……
何にせよ、私《てまえ》どうかしていたと見えます。兎はちょいちょい、猿も時々は見懸けますが、狐狸は気もつきませぬに、穴の中からでも魅《や》りましたかな。
明王もさぞ呆れ返って、苦笑いなされたに相違ござらん。私《てまえ》のその痴《たわ》けさ加減、――ああ、御無事を祈るに、お年紀《とし》も分らぬ、貴辺の苗字だけでも窺《うかが》っておこうものを、――心着かぬことをした。」
総髪をうしろへ撫でる。
「などと早や……」
三造は片手をちゃんと炉縁《ろぶち》に支《つ》いて、
「難有《ありがと》う存じます。御厚意、何とも。」
十七
更《あらた》めて、
「お先達、そうやって貴下《あなた》は、御自分お心得違いのようにばかりお言いですが、――その人を抱き起して美しい顔を見た時、貴下に対して心得違いしましたのは、私の方じゃありませんか。
そして、無事、」
と言い懸けたが、寂しい顔をした、――実は、余り無事でばかりもなかったのであるから。
「ともかくも……峠を抜けられましたのは、貴下が御祈念の功徳かも知れません――確《たしか》に功徳です。
そうでないと、今頃どうなっていたか自分で自分が解らんのです。何ともお礼の申上げようはありません。実際。
その人だって、またそうです――あの可恐《おそろし》い面のために気絶をした。私が行《ゆ》かないとそのまま一命が終ったかも知れない、と言えば、貴下に取って面倒になりますけれども、ただ夢のように思っ
前へ
次へ
全70ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング