よう、竹の橋をさして下山いたすでございます、貴辺《あなた》はな。」
 境は振向いて峠を仰いだ。目を突くばかりの坂の葎《むぐら》に、竹はすっくと立っている。

       六

「ええ、日脚は十分、これから峠をお越しになっても、夏の日は暮れますまい――が、その事でござる、……さよう、その儀に就いて、」
 境の前に蹲《しゃが》んだ時、山伏は行衣《ぎょうえ》の胸に堆《うずたか》い、鬼の面が、襟許《えりもと》から片目で睨《にら》むのを推入《おしい》れなどして、
「実は、貴辺《あなた》よりも私《てまえ》がお恥かしい。臆病《おくびょう》から致いてかようなものを持出しましたで。
 それと申すが、やはりこの往来止の縄張でございまするがな。ここばかりではのうて、峠を越しました向うの坂、石動《いするぎ》から取附《とッつき》の上《のぼ》り口にも、ぴたりと封じ目の墨があるでござります。
 仔細《しさい》あって、私《てまえ》は、この坂を貴辺《あなた》、真暗三宝《まっくらさんぼう》駆下りましたで、こちらのこの縄張は、今承りますまで目にも入らず、貴辺がお在《いで》なさる姿さえ心着かなんだでござります。
 が、あちらのは、風説《うわさ》にも聞きますれば、私《てまえ》も見ました、と申しますのが、そこからさまで隔てませぬ、石動の町をこの峠の方へ、人里離れました処に、山籠《やまごも》りを致しております。」
 不動堂の先達だと云う。それでその鐸《すず》も、雲のような行衣も解《よ》めた。
「御免下され、」
 とここで、鐸を倒《さかさま》に腰にさして、袂《たもと》から、ぐったりした、油臭い、叺《かます》の煙草入《たばこいれ》を出して、真鍮《しんちゅう》の煙管《きせる》を、ト隔てなく口ごと持って来て、蛇の幻のあらわれた、境の吸う巻莨《まきたばこ》で、吸附けながら、
「赫《かっ》と気ばかり上《のぼ》って、ざっと一日、好《すき》な煙草もよう喫《の》みません。世に推事《おしごと》というは出来ぬもので、これがな、腹に底があってした事じゃと、うむと堪《こら》えるでござりましょうが、好事《ものずき》半分の生兵法《なまびょうほう》、豪《えら》く汗を掻《か》きました。」
「峠に何事があったんですか。」
「されば。」
 すぱすぱと二三服、さも旨《うま》そうに立続けに行者は、矢継早に乙矢《おとや》を番《つが》えて、
「――ござい
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