寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、畦道《あぜみち》を馬も百姓も、往《い》ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あの爺《じじい》のそのそ嗅《か》ぎつけて参りましてね、蚊遣《かやり》の煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあのふやけ[#「ふやけ」に傍点]た色づいて薄赤い、てらてらする鼻の尖《さき》を突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したのでございますと。
 もうもう五宿の女郎の、油、白粉《おしろい》、襟垢《えりあか》の香《におい》まで嗅いで嗅いで嗅ぎためて、ものの匂で重量《おもり》がついているのでございますもの、夢中だって気勢《けはい》が知れます。
 それが貴方、明前《あかりさき》へ、突立《つった》ってるのじゃあございません、脊伸をしてからが大概人の蹲《しゃが》みます位なんで、高慢な、澄した今産れて来て、娑婆《しゃば》の風に吹かれたという顔色《かおつき》で、黙って、※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》をしちゃあ、クンクン、クンクン小さな法螺《ほら》の貝ほどには鳴《なら》したのでございます。
 麹室《こうじむろ》の中へ縛られたような何ともいわれぬ厭《いや》な気持で、しばらくは我慢をもしましたそうな。
 お米が気の弱い臆病ものの癖に、ちょっと癇持《かんもち》で、気に障ると直きつむりが疼《いた》み出すという風なんですから堪《たま》りませんや。
 それでもあの爺の、むかしむかしを存じておりますれば、劫《こう》経《へ》た私《わたくし》どもでさえ、向面《むこうづら》へ廻しちゃあ気味の悪い、人間には籍のないような爺、目を塞《ふさ》いで逃げますまでも、強《きつ》いことなんぞ謂《い》われたものではございませんが、そこはあの女《こ》は近頃こちらへ参りましたなり、破風口《はふぐち》から、=無事か=の一件なんざ、夢にも知りませず、また沢井様などでも誰もそんなことは存じません。
 串戯《じょうだん》にも、つけまわしている様子を、そんな事でも聞かせましたら、夜が寝られぬほど心持を悪くするだろうと思いますから、私もうっかりしゃべりませんでございますから、あの女《こ》はただ汚い変な乞食、親仁《おやじ》、あてにならぬ卜者《うらないしゃ》を、愚痴無智の者が獣《けだもの》を拝
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