寸情風土記
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)山吹《やまぶき》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)五|厘《りん》【「記号について」に追加】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#非0213外字:「姉」の正字、第3水準1−85−57の木へんの代わりに女へん、501−11]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)のそり/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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金澤《かなざは》の正月《しやうぐわつ》は、お買初《かひぞ》め、お買初《かひぞ》めの景氣《けいき》の好《い》い聲《こゑ》にてはじまる。初買《はつがひ》なり。二日《ふつか》の夜中《よなか》より出《いで》立《た》つ。元日《ぐわんじつ》は何《なん》の商賣《しやうばい》も皆《みな》休《やす》む。初買《はつがひ》の時《とき》、競《きそ》つて紅鯛《べにだひ》とて縁起《えんぎ》ものを買《か》ふ。笹《さゝ》の葉《は》に、大判《おほばん》、小判《こばん》、打出《うちで》の小槌《こづち》、寶珠《はうしゆ》など、就中《なかんづく》、緋《ひ》に染色《そめいろ》の大鯛《おほだひ》小鯛《こだひ》を結《ゆひ》付《つ》くるによつて名《な》あり。お酉樣《とりさま》の熊手《くまで》、初卯《はつう》の繭玉《まゆだま》の意氣《いき》なり。北國《ほくこく》ゆゑ正月《しやうぐわつ》はいつも雪《ゆき》なり。雪《ゆき》の中《なか》を此《こ》の紅鯛《べにだひ》綺麗《きれい》なり。此《こ》のお買初《かひぞ》めの、雪《ゆき》の眞夜中《まよなか》、うつくしき灯《ひ》に、新版《しんぱん》の繪草紙《ゑざうし》を母《はゝ》に買《か》つてもらひし嬉《うれ》しさ、忘《わす》れ難《がた》し。
おなじく二日《ふつか》の夜《よ》、町《まち》の名《な》を言《い》ひて、初湯《はつゆ》を呼《よ》んで歩《ある》く風俗《ふうぞく》以前《いぜん》ありたり、今《いま》もあるべし。たとへば、本町《ほんちやう》の風呂屋《ふろや》ぢや、湯《ゆ》が沸《わ》いた、湯《ゆ》がわいた、と此《こ》のぐあひなり。これが半纏《はんてん》向《むか》うはち卷《まき》の威勢《ゐせい》の好《い》いのでなく、古合羽《ふるがつぱ》に足駄穿《あしだば》き懷手《ふところで》して、のそり/\と歩行《ある》きながら呼《よ》ぶゆゑをかし。金澤《かなざは》ばかりかと思《おも》ひしに、久須美佐渡守《くすみさどのかみ》の著《あらは》す、(浪華《なには》の風《かぜ》)と云《い》ふものを讀《よ》めば、昔《むかし》、大阪《おほさか》に此《こ》のことあり――二日《ふつか》は曉《あけ》七《なゝ》つ時《どき》前《まえ》より市中《しちう》螺《ほら》など吹《ふ》いて、わいたわいたと大聲《おほごゑ》に呼《よ》びあるきて湯《ゆ》のわきたるをふれ知《し》らす、江戸《えど》には無《な》きことなり――とあり。
氏神《うぢがみ》の祭禮《さいれい》は、四五月頃《しごぐわつごろ》と、九十月頃《くじふぐわつごろ》と、春秋《しゆんじう》二度《にど》づゝあり、小兒《こども》は大喜《おほよろこ》びなり。秋《あき》の祭《まつり》の方《はう》賑《にぎは》し。祇園囃子《ぎをんばやし》、獅子《しし》など出《い》づるは皆《みな》秋《あき》の祭《まつり》なり。子供《こども》たちは、手《て》に手《て》に太鼓《たいこ》の撥《ばち》を用意《ようい》して、社《やしろ》の境内《けいだい》に備《そな》へつけの大太鼓《おほだいこ》をたゝきに行《ゆ》き、また車《くるま》のつきたる黒塗《くろぬり》の臺《だい》にのせて此《こ》れを曳《ひ》きながら打《うち》囃《はや》して市中《しちう》を練《ね》りまはる。ドヾンガドン。こりや、と合《あひ》の手《て》に囃《はや》す。わつしよい/\と云《い》ふ處《ところ》なり。
祭《まつり》の時《とき》のお小遣《こづかひ》を飴買錢《あめかひぜに》と云《い》ふ。飴《あめ》が立《た》てものにて、鍋《なべ》にて暖《あたゝ》めたるを、麻殼《あさがら》の軸《ぢく》にくるりと卷《ま》いて賣《う》る。飴《あめ》買《か》つて麻《あさ》やろか、と言《い》ふべろんの言葉《ことば》あり。饅頭《まんぢう》買《か》つて皮《かは》やろかなり。御祝儀《ごしうぎ》、心《こゝろ》づけなど、輕少《けいせう》の儀《ぎ》を、此《これ》は、ほんの飴買錢《あめかひぜに》。
金澤《かなざは》にて錢《ぜに》百と云《い》ふは五|厘《りん》なり、二百が一|錢《せん》、十|錢《せん》が二|貫《くわん》なり。たゞし、一|圓《ゑん》を二|圓《ゑん》とは云《い》はず。
蒲鉾《かまぼこ》の事《こと》をはべん[#「はべん」に丸傍点]、はべん[#「はべん」に丸傍点]をふかし[#「ふかし」に丸傍点]と言《い》ふ。即《すなは》ち紅白《こうはく》のはべんなり。皆《みな》板《いた》についたまゝを半月《はんげつ》に揃《そろ》へて鉢肴《はちざかな》に裝《も》る。逢《あ》ひたさに用《よう》なき門《かど》を二度《にど》三度《さんど》、と言《い》ふ心意氣《こゝろいき》にて、ソツと白壁《しろかべ》、黒塀《くろべい》について通《とほ》るものを、「あいつ板附《いたつき》はべん」と言《い》ふ洒落《しやれ》あり、古《ふる》い洒落《しやれ》なるべし。
お汁《つゆ》の實《み》の少《すく》ないのを、百間堀《ひやくけんぼり》に霰《あられ》と言《い》ふ。田螺《たにし》と思《おも》つたら目球《めだま》だと、同《おな》じ格《かく》なり。百間堀《ひやくけんぼり》は城《しろ》の堀《ほり》にて、意氣《いき》も不意氣《ぶいき》も、身投《みなげ》の多《おほ》き、晝《ひる》も淋《さび》しき所《ところ》なりしが、埋立《うめた》てたれば今《いま》はなし。電車《でんしや》が通《とほ》る。滿員《まんゐん》だらう。心中《しんぢう》したのがうるさかりなむ。
春雨《はるさめ》のしめやかに、謎《なぞ》を一《ひと》つ。……何枚《なんまい》衣《き》ものを重《かさ》ねても、お役《やく》に立《た》つは膚《はだ》ばかり、何《なに》?……筍《たけのこ》。
然《しか》るべき民謠集《みんえうしふ》の中《なか》に、金澤《かなざは》の童謠《どうえう》を記《しる》して(鳶《とんび》のおしろ[#「おしろ」に丸傍点]に鷹匠《たかじよ》が居《ゐ》る、あつち向《む》いて見《み》さい、こつち向《む》いて見《み》さい)としたるは可《よ》きが、おしろ[#「おしろ」に丸傍点]に註《ちう》して(お城《しろ》)としたには吃驚《びつくり》なり。おしろ[#「おしろ」に丸傍点]は後《うしろ》のなまりと知《し》るべし。此《こ》の類《るゐ》あまたあり。茸狩《たけが》りの唄《うた》に、(松《まつ》みゝ、松《まつ》みゝ、親《おや》に孝行《かうかう》なもんに當《あた》れ。)此《こ》の松《まつ》みゝに又《また》註《ちう》して、松茸《まつたけ》とあり。飛《と》んだ間違《まちがひ》なり。金澤《かなざは》にて言《い》ふ松《まつ》みゝは初茸[#「初茸」に白丸傍点]なり。此《こ》の茸《きのこ》は、松《まつ》美《うつく》しく草《くさ》淺《あさ》き所《ところ》にあれば子供《こども》にも獲《え》らるべし。(つくしん坊《ばう》めつかりこ)ぐらゐな子供《こども》に、何處《どこ》だつて松茸《まつたけ》は取《と》れはしない。一體《いつたい》童謠《どうえう》を收録《しうろく》するのに、なまりを正《たゞ》したり、當推量《あてずゐりやう》の註釋《ちうしやく》は大《だい》の禁物《きんもつ》なり。
鬼《おに》ごつこの時《とき》、鬼《おに》ぎめの唄《うた》に、……(あてこに、こてこに、いけ[#「いけ」に丸傍点]の縁《ふち》に茶碗《ちやわん》を置《お》いて、危《あぶな》いことぢやつた。)同《おな》じ民謠集《みんえうしふ》に、此《こ》のいけ[#「いけ」に丸傍点]に(池《いけ》)の字《じ》を當《あ》ててあり。あの土地《とち》にて言《い》ふいけ[#「いけ」に丸傍点]は井戸《ゐど》なり。井戸《ゐど》のふちに茶碗《ちやわん》ゆゑ、けんのんなるべし。(かしや[#「かしや」に丸傍点]、かなざもの[#「かなざもの」に丸傍点]、しんたてまつる[#「しんたてまつる」に丸傍点]云々《うんぬん》)これは北海道《ほくかいだう》の僻地《へきち》の俚謠《りえう》なり。其處《そこ》には、金澤《かなざは》の人《ひと》多人數《たにんずう》、移住《いぢう》したるゆゑ、故郷《こきやう》にて、(加州金澤の新堅町の[#「加州金澤の新堅町の」に白丸傍点]云々《うんぬん》)と云《い》ふのが、次第《しだい》になまりて(かしや、かなざものしんたてまつる。)知《し》るべし、民謠《みんえう》に註《ちう》の愈々《いよ/\》不可《ふか》なること。
新堅町《しんたてまち》、犀川《さいがは》の岸《きし》にあり。こゝに珍《めづら》しき町《まち》の名《な》に、大衆免《だいじめ》、木《き》の新保《しんぽ》、柿《かき》の木《き》畠《ばたけ》、油車《あぶらぐるま》、目細《めぼその》小路《せうぢ》、四這坂《よつばひざか》。例《れい》の公園《こうゑん》に上《のぼ》る坂《さか》を尻垂坂《しりたれざか》は何《どう》した事《こと》? 母衣町《ほろまち》は、十二階邊《じふにかいへん》と言《い》ふ意味《いみ》に通《かよ》ひしが今《いま》は然《しか》らざる也《なり》。――六斗林《ろくとばやし》は筍《たけのこ》が名物《めいぶつ》。目黒《めぐろ》の秋刀魚《さんま》の儀《ぎ》にあらず、實際《じつさい》の筍《たけのこ》なり。百々女木町《どゞめきまち》も字《じ》に似《に》ず音《おん》強《つよ》し。
買物《かひもの》にゆきて買《か》ふ方《はう》が、(こんね)で、店《みせ》の返事《へんじ》が(やあ/\。)歸《かへ》る時《とき》、買《か》つた方《はう》で、有《あり》がたう存《ぞん》じます、は君子《くんし》なり。――ほめるのかい――いゝえ。
地震《ぢしん》めつたになし。しかし、其《そ》のぐら/\と來《く》る時《とき》は、家々《いへ/\》に老若《らうにやく》男女《なんによ》、聲《こゑ》を立《た》てて、世《よ》なほし、世《よ》なほし、世《よ》なほしと唱《とな》ふ。何《なん》とも陰氣《いんき》にて薄氣味《うすきみ》惡《わる》し。雷《かみなり》の時《とき》、雷《かみなり》山《やま》へ行《ゆ》け、地震《ぢしん》は海《うみ》へ行《ゆ》けと唱《とな》ふ、たゞし地震《ぢしん》の時《とき》には唱《とな》へず。
火事《くわじ》をみて、火事《くわじ》のことを、あゝ火事《くわじ》が行《ゆ》く、火事《くわじ》が行《ゆ》く、と叫《さけ》ぶなり。彌次馬《やじうま》が駈《か》けながら、互《たがひ》に聲《こゑ》を合《あ》はせて、左《ひだり》、左《ひだり》、左《ひだり》、左《ひだり》。
夏《なつ》のはじめに、よく蝦蟆賣《がまう》りの聲《こゑ》を聞《き》く。蝦蟆《がま》や、蝦蟆《がんま》い、と呼《よ》ぶ。又《また》此《こ》の蝦蟆賣《がまう》りに限《かぎ》りて、十二三、四五|位《ぐらゐ》なのが、きまつて二人連《ふたりづ》れにて歩《ある》くなり。よつて怪《け》しからぬ二人連《ふたりづ》れを、畜生《ちくしやう》、蝦蟆賣《がまうり》め、と言《い》ふ。たゞし蝦蟆《がま》は赤蛙《あかがへる》なり。蝦蟆《がま》や、蝦蟆《がんま》い。――そのあとから山男《やまをとこ》のやうな小父《をぢ》さんが、柳《やなぎ》の蟲《むし》は要《い》らんかあ、柳《やなぎ》の蟲《むし》は要《い》らんかあ。
鯖《さば》を、鯖《さば》や三番叟《さんばそう》、とすてきに威勢《ゐせい》よく賣《う》る、おや/\、初鰹《はつがつを》の勢《いきほひ》だよ。鰯《いわし》は五月《ごぐわつ》を季《しゆん》とす。さし網鰯《あみいわし》とて、砂《すな》のまゝ、笊《ざる》、盤臺《はんだい》にころがる。嘘《うそ》にあらず、鯖《さば
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