水《しやうづ》。――桂《かつら》清水《しやうづ》で手拭《てぬぐひ》ひろた、と唄《うた》ふ。山中《やまなか》の湯女《ゆな》の後朝《きぬ/″\》なまめかし。其《そ》の清水《しやうづ》まで客《きやく》を送《おく》りたるもののよし。
二百十日《にひやくとをか》の落水《おとしみづ》に、鯉《こひ》、鮒《ふな》、鯰《なまづ》を掬《すく》はんとて、何處《どこ》の町内《ちやうない》も、若い衆《しう》は、田圃《たんぼ》々々《/\》へ總出《そうで》で騷《さわ》ぐ。子供《こども》たち、二百十日《にひやくとをか》と言《い》へば、鮒《ふな》、カンタをしやくふものと覺《おぼ》えたほどなり。
謎《なぞ》また一《ひと》つ。六角堂《ろくかくだう》に小僧《こぞう》一人《ひとり》、お參《まゐ》りがあつて扉《と》が開《ひら》く、何《なに》?……酸漿《ほうづき》。
味噌《みそ》の小買《こがひ》をするは、質《しち》をおくほど恥辱《ちじよく》だと言《い》ふ風俗《ふうぞく》なりし筈《はず》なり。豆府《とうふ》を切《き》つて半挺《はんちやう》、小半挺《こはんちやう》とて賣《う》る。菎蒻《こんにやく》は豆府屋《とうふや》につきものと知《し》り給《たま》ふべし。おなじ荷《に》の中《なか》に菎蒻《こんにやく》キツトあり。
蕎麥《そば》、お汁粉《しるこ》等《など》、一寸《ちよつと》入《はひ》ると、一ぜんでは濟《す》まず。二ぜんは當前《あたりまへ》。だまつて食《た》べて居《ゐ》れば、あとから/\つきつけ裝《も》り出《だ》す習慣《しふくわん》あり。古風《こふう》淳朴《じゆんぼく》なり。たゞし二百が一|錢《せん》と言《い》ふ勘定《かんぢやう》にはあらず、心《こゝろ》すべし。
ふと思出《おもひだ》したれば、鄰國《りんごく》富山《とやま》にて、團扇《うちは》を賣《う》る珍《めづら》しき呼聲《よびごゑ》を、こゝに記《しる》す。
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團扇《うちは》やア、大團扇《おほうちは》。
うちは、かつきツさん。
いつきツさん。團扇《うちは》やあ。
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もの知《し》りだね。
ところで藝者《げいしや》は、娼妓《をやま》は?……をやま、尾山《をやま》と申《まを》すは、金澤《かなざは》の古稱《こしよう》にして、在方《ざいかた》鄰國《りんごく》の人達《ひとたち》は今《いま》も城下《じやうか》に出《い》づる
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