と言《い》ひしはこれなるべし。あゝ又《また》雨《あめ》ぞやと云《い》ふ事《こと》を、又《また》ばんどりぞやと云《い》ふ習《なら》ひあり。
 祭禮《さいれい》の雨《あめ》を、ばんどり祭《まつり》と稱《とな》ふ。だんどりが違《ちが》つて子供《こども》は弱《よわ》る。
 關取《せきとり》、ばんどり、おねばとり、と拍子《ひやうし》にかゝつた言《ことば》あり。負《ま》けずまふは、大雨《おほあめ》にて、重湯《おもゆ》のやうに腰《こし》が立《た》たぬと云《い》ふ後言《しりうごと》なるべし。
 いつぞや、同國《どうこく》の人《ひと》の許《もと》にて、何《なに》かの話《はなし》の時《とき》、鉢前《はちまへ》のバケツにあり合《あは》せたる雜巾《ざふきん》をさして、其《そ》の人《ひと》、金澤《かなざは》で何《な》んと言《い》つたか覺《おぼ》えてゐるかと問《と》ふ。忘《わす》れたり。ぢぶき[#「ぢぶき」に白丸傍点]なり、其《そ》の人《ひと》、長火鉢《ながひばち》を、此《こ》れはと又《また》問《と》ふ。忘《わす》れたり。大和風呂《やまとぶろ》なり。さて醉《よつ》ぱらひの事《こと》を何《な》んと言《い》つたつけ。二人《ふたり》とも忘《わす》れて、沙汰《さた》なし/\。
 内證《ないしよ》の情婦《いろ》のことを、おきせん[#「おきせん」に傍点]と言《い》ふ。たしか近松《ちかまつ》の心中《しんぢう》ものの何《なに》かに、おきせんとて此《こ》の言葉《ことば》ありたり。どの淨瑠璃《じやうるり》かしらべたけれど、おきせんも無《な》いのに面倒《めんだう》なり。
 眞夏《まなつ》、日盛《ひざか》りの炎天《えんてん》を、門天心太《もんてんこゝろぷと》と賣《う》る聲《こゑ》きはめてよし。靜《しづか》にして、あはれに、可懷《なつか》し。荷《に》も涼《すゞ》しく、松《まつ》の青葉《あをば》を天秤《てんびん》にかけて荷《にな》ふ。いゝ聲《こゑ》にて、長《なが》く引《ひ》いて靜《しづか》に呼《よ》び來《きた》る。もんてん、こゝろウぶとウ――
 續《つゞ》いて、荻《をぎ》、萩《はぎ》の上葉《うはは》をや渡《わた》るらんと思《おも》ふは、盂蘭盆《うらぼん》の切籠賣《きりこうり》の聲《こゑ》なり。青竹《あをだけ》の長棹《ながさを》にづらりと燈籠《とうろう》、切籠《きりこ》を結《むす》びつけたるを肩《かた》にかけ、二《ふた
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