じろ》くて、衣《きぬ》も冠《かむり》も古雛《ふるびな》の、丈《たけ》が二倍ほど大きかった。
薄暗い白昼《まひる》の影が一つ一つに皆|映《うつ》る。
背後《うしろ》の古襖《ふるぶすま》が半ば開《あ》いて、奥にも一つ見える小座敷に、また五壇の雛がある。不思議や、蒔絵《まきえ》の車、雛たちも、それこそ寸分《すんぶん》違《たが》わない古郷《ふるさと》のそれに似た、と思わず伸上《のびあが》りながら、ふと心づくと、前の雛壇におわするのが、いずれも尋常《ただ》の形でない。雛は両方さしむかい、官女たちは、横顔やら、俯向《うつむ》いたの。お囃子《はやし》はぐるり、と寄って、鼓《つづみ》の調糸《しらべ》を緊《し》めたり、解《と》いたり、御殿火鉢《ごてんひばち》も楽屋の光景《ありさま》。
私は吃驚《びっくり》して飛退《とびの》いた。
敷居の外の、苔《こけ》の生えた内井戸《うちいど》には、いま汲《く》んだような釣瓶《つるべ》の雫《しずく》、――背戸《せど》は桃もただ枝の中《うち》に、真黄色に咲いたのは連翹《れんぎょう》の花であった。
帰りがけに密《そっ》と通ると、何事もない。襖《ふすま》の奥に雛はなくて、前の壇のも、烏帽子《えぼし》一つ位置のかわったのは見えなかった。――この時に慄然《ぞっ》とした。
風はそのまま留《や》んでいる。広い河原に霞《かすみ》が流れた。渡れば鞠子《まりこ》の宿《しゅく》と聞く……梅、若菜《わかな》の句にも聞える。少し渡って見よう。橋詰《はしづめ》の、あの大樹《たいじゅ》の柳の枝のすらすらと浅翠《あさみどり》した下を通ると、樹の根に一枚、緋《ひ》の毛氈《もうせん》を敷いて、四隅を美しい河原の石で圧《おさ》えてあった。雛市《ひないち》が立つらしい、が、絵合《えあわせ》の貝一つ、誰《たれ》もおらぬ。唯《と》、二、三|町《ちょう》春の真昼に、人通りが一人もない。何故《なぜ》か憚《はばか》られて、手を触れても見なかった。緋の毛氈は、何処《どこ》のか座敷から柳の梢《こずえ》を倒《さかさま》に映る雛壇の影かも知れない。夢を見るように、橋へかかると、これも白い虹が来て群青《ぐんじょう》の水を飲むようであった。あれあれ雀が飛ぶように、おさえの端《はし》の石がころころと動くと、柔《やわら》かい風に毛氈を捲《ま》いて、ひらひらと柳の下枝《したえだ》に搦《から》む。
私は愕然として火を思った。
何処《どこ》ともなしに、キリリキリリと、軋《きし》る轅《ながえ》の車の響《ひびき》。
鞠子《まりこ》は霞む長橋《ながばし》の阿部川の橋の板を、あっちこっち、ちらちらと陽炎《かげろう》が遊んでいる。
時に蒼空《あおぞら》に富士を見た。
若き娘に幸《さち》あれと、餅屋の前を通過《とおりす》ぎつつ、
――若い衆《しゅ》、綺麗《きれい》な娘さんだね、いい婿《むこ》さんが持たせたいね――
――ええ、餅屋の婿さんは知りませんが、向う側のあの長い塀、それ、柳のわきの裏門のありますお邸《やしき》は、……旦那、大財産家《だいざいさんか》でございましてな。つい近い頃、東京から、それはそれは美しい奥さんが見えましたよ――
何とこうした時は、見ぬ恋にも憧憬《あこが》れよう。
欲《ほし》いのは――もしか出来たら――偐紫《にせむらさき》の源氏雛《げんじびな》、姿も国貞《くにさだ》の錦絵《にしきえ》ぐらいな、花桐《はなぎり》を第一に、藤《ふじ》の方《かた》、紫、黄昏《たそがれ》、桂木《かつらぎ》、桂木は人も知った朧月夜《おぼろづきよ》の事である。
照りもせず、くもりも果てぬ春の夜《よ》の……
この辺は些《ちっ》と酔ってるでしょう。
底本:「鏡花短篇集 川村二郎編」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二七巻」岩波書店
1942(昭和17)年10月
初出:「新小説」
1917年(大正6年)3月
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2000年8月30日公開
2005年3月1日修正
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