逗子より
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)仕《つかまつ》れ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一鎌|仕《つかまつ》れ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「山+険のつくり」、第3水準1−47−78]しき

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
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 拝啓、愚弟におんことづけの儀承り候。来月分新小説に、凡兆が、(涼しさや朝草門に荷ひ込む)趣の、やさしき御催しこれあり、小生にも一鎌|仕《つかまつ》れとのおほせ、ゐなかずまひのわれらにはふさはしき御申しつけ、心得申して候。
 まづ、何処をさして申上げ候べき。われら此の森の伏屋、小川の芦、海は申すまでも候はず、岩端、松蔭、朝顔、夕顔、蛍、六代御前の塚は凄く涼しく、玄武寺の竜胆は幽に涼しく、南瓜の露はをかしげに涼しく、魚屋の盤台の鱸は……実は余りお安値《やす》からず涼しく、ものにつけ涼しからぬはこれなく候。わけて此の頃や、山々のみどりの中に、白百合の俤こそなつかしく涼しく候へ。
 なかにも、尊く身にしみて膚寒きまで心涼しく候は、当田越村久野谷なる、岩殿寺のあたりに候。土地の人はたゞ岩殿と申して、石段高く青葉によづる山の上に、観世音の御堂こそあり候。
 停車場《ステエシヨン》より、路を葉山の方にせず、鎌倉の新道、鶴ヶ岡までトンネルを二つ越して、一里八町と申し候方に、あひむかひ候へば、左に小坪の岩の根、白波の寄するを境に、青田と浅緑の海とをながめ、右にえぞ菊、孔雀草、浦島草、おいらん草の濃き紅、おしろい草、装を凝したる十七八の農家つゞきに、小さく停車場の全幅を望みつゝ、やがて、踏切を越して、道のほど二町ばかり参り候へば、水田の畔に建札して、板東三十三番の内、第二番の霊場とござ候。
 早や遠音ながら、声冴えて、谺に響く夏鶯の、山の其方を見候へば、雲うつくしき葉がくれに、御堂の屋根の拝まれ候。
 鎌倉街道よりはわきへそれ、通りすがりの打見には、橿原の山の端にかくれ、人通りしげき葉山の路とは、方位異なり、多くの人は此の景勝の霊地を知らず、小生も久しく不心得にて過ぎ申候。
 尤も、海に参り候、新宿なる小松原の中よりも、遠見に其
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