、貴下《あなた》がたのような御仁《ごじん》の御宿《おやど》をいたしたことがありまする。
御夫婦でも宜《よろ》しい。お二人ぐらいは楽でありますから、」
「はい、ありがとう。」
と莞爾《にっこり》して、
「ちょっと、通りがかりでは、こういう処《ところ》が、こちらにあろうとは思われませんね。真個《ほんとう》に佳《い》い御堂ですね、」
「折々|御遊歩《ごゆうほ》においで下さい。」
「勿体《もったい》ない、おまいりに来ましょう。」
何心《なにごころ》なく言った顔を、訝《いぶか》しそうに打視《うちなが》めた。
七
出家は膝に手を置いて、
「これは、貴下方《あなたがた》の口から、そういうことを承《うけたまわ》ろうとは思わんでありました。」
「何故《なぜ》ですか、」
と問うては見たが、予《あらかじ》め、その意味を解するに難《かと》うはないのであった。
出家も、扁《ひらた》くはあるが、ふっくりした頬に笑《えみ》を含んで、
「何故《なぜ》と申すでもありませんがな……先ず当節のお若い方が……というのでござる。はははは、近い話がな。最《もっと》もそう申すほど、私《わたくし》が、まだ年配ではありませんけれども、」
「分りましたとも。青年の、しかも書生《しょせい》が、とおっしゃるのでしょう。
否《いいえ》、そういう御遠慮をなさるから、それだから不可《いけ》ません。それだから、」
とどうしたものか、じりじりと膝を向け直して、
「段々お宗旨《しゅうし》が寂《さび》れます。こちらは何《なに》お宗旨だか知りませんが。
対手《あいて》は老朽《おいく》ちたものだけで、年紀《とし》の少《すくな》い、今の学校生活でもしたものには、とても済度《さいど》はむずかしい、今さら、観音《かんおん》でもあるまいと言うようなお考えだから不可《いか》んのです。
近頃は爺婆《じじばば》の方が横着《おうちゃく》で、嫁をいじめる口叱言《くちこごと》を、お念仏で句読《くとう》を切ったり、膚脱《はだぬぎ》で鰻《うなぎ》の串《くし》を横銜《よこぐわ》えで題目を唱《とな》えたり、……昔からもそういうのもなかったんじゃないが、まだまだ胡散《うさん》ながら、地獄極楽《じごくごくらく》が、いくらか念頭にあるうちは始末がよかったのです。今じゃ、生悟《なまさと》りに皆《みんな》が悟りを開いた顔で、悪くすると地獄の絵を見て、こりゃ出来が可《い》い、などと言い兼ねません。
貴下方《あなたがた》が、到底|対手《あいて》にゃなるまいと思っておいでなさる、少《わか》い人たちが、かえって祖師《そし》に憧《あこ》がれてます。どうかして、安心立命《あんしんりつめい》が得たいと悶《もだ》えてますよ。中にはそれがために気が違うものもあり、自殺するものさえあるじゃありませんか。
何でも構わない。途中で、ははあ、これが二十世紀の人間だな、と思うのを御覧なすったら、男子《おとこ》でも女子《おんな》でもですね、唐突《だしぬけ》に南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と声をかけてお試しなさい。すぐに気絶するものがあるかも知れず、たちどころに天窓《あたま》を剃《そっ》て御弟子になりたいと言おうも知れず、ハタと手を拍《う》って悟るのもありましょう。あるいはそれが基《もと》で死にたくなるものもあるかも知れません。
実際、串戯《じょうだん》ではない。そのくらいなんですもの。仏教はこれから法燈《ほうとう》の輝く時です。それだのに、何故《なぜ》か、貴下《あんた》がたが因循《いんじゅん》して引込思案《ひっこみじあん》でいらっしゃる。」
頻《しきり》に耳を傾けたが、
「さよう、如何《いか》にも、はあ、さよう。いや、私《わたくし》どもとても、堅く申せば思想界は大維新《だいいしん》の際《さい》で、中には神を見た、まのあたり仏《ぶつ》に接した、あるいは自《みず》から救世主であるなどと言う、当時の熊本の神風連《じんぷうれん》の如き、一揆《いっき》の起りましたような事も、ちらほら聞伝《ききつた》えてはおりますが、いずれに致せ、高尚な御議論、御研究の方《ほう》でござって、こちとらづれ出家がお守《も》りをする、偶像なぞは……その、」
と言いかけて、密《そっ》と御廚子《みずし》の方《かた》を見た。
「作《さく》がよければ、美術品、彫刻物《ちょうこくもの》として御覧なさろうと言う世間。
あるいは今後、仏教は盛《さかん》になろうも知れませんが、ともかく、偶像の方となりますると……その如何《いかが》なものでござろうかと……同一《おなじ》信仰にいたしてからが、御本尊《ごほんぞん》に対し、礼拝《らいはい》と申す方《かた》は、この前《さき》どうあろうかと存じまする。ははは、そこでございますから、自然、貴下《あたた》[#ルビの「あたた」はママ
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