いし》、観音《かんおん》、御像《おすがた》はありがたい訳《わけ》ではありませんか。」
出家は活々《いきいき》とした顔になって、目の色が輝いた。心の籠《こも》った口のあたり、髯《ひげ》の穴も数えつびょう、
「申されました、おもしろい。」
ぴたりと膝に手をついて、片手を額《ひたい》に加えたが、
「――うたゝ寐《ね》に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき――」
と独《ひと》り俯向《うつむ》いた口の裏《うち》に誦《じゅ》したのは、柱に記《しる》した歌である。
こなたも思わず彼処《かしこ》を見た、柱なる蜘蛛《ささがに》の糸、あざやかなりけり水茎《みずぐき》の跡。
「そう承《うけたまわ》れば恥入《はじい》る次第で、恥を申さねば分らんでありますが、うたゝ寐《ね》の、この和歌でござる、」
「その歌が、」
とこなたも膝の進むを覚えず。
「ええ、御覧なさい。其処中《そこらじゅう》、それ巡拝札《じゅんぱいふだ》を貼り散らしたと申すわけで、中にはな、売薬や、何かの広告に使いまするそうなが、それもありきたりで構わんであります。
また誰《たれ》が何時《いつ》のまに貼って参るかも分りませんので。ところが、それ、其処《そこ》の柱の、その……」
「はあ、あの歌ですか。」
「御覧になったで、」
「先刻《さっき》、貴下《あなた》が声をおかけなすった時に、」
「お目に留《と》まったのでありましょう、それは歌の主《ぬし》が分っております。」
「婦人ですね。」
「さようで、最《もっと》も古歌《こか》でありますそうで、小野小町《おののこまち》の、」
「多分そうのようです。」
「詠《よ》まれたは御自分でありませんが、いや、丁《とん》とその詠《よ》み主《ぬし》のような美人でありましてな、」
「この玉脇《たまわき》……とか言う婦人が、」
と、口では澄《す》ましてそう言ったが、胸はそぞろに時《とき》めいた。
「なるほど、今|貴下《あなた》がお話しになりました、その、御像《おすがた》のことについて、恋人|云々《うんぬん》のお言葉を考えて見ますると、これは、みだらな心ではのうて、行《ゆ》き方《かた》こそ違いまするが、かすかに照らせ山《やま》の端《は》の月、と申したように、観世音《かんぜおん》にあこがるる心を、古歌に擬《なぞ》らえたものであったかも分りませぬ。――夢てふものは頼み初《そ》めてき――夢に
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