》へ一足《ひとあし》寄ると、ゆっくりと腰をのして、背後《うしろ》へよいとこさと反《そ》るように伸びた。親仁《おやじ》との間は、隔てる草も別になかった。三筋《みすじ》ばかり耕《たが》やされた土が、勢込《いきおいこ》んで、むくむくと湧《わ》き立つような快活な香《におい》を籠《こ》めて、しかも寂寞《せきばく》とあるのみで。勿論《もちろん》、根を抜かれた、肥料《こやし》になる、青々《あおあお》と粉《こな》を吹いたそら豆の芽生《めばえ》に交《まじ》って、紫雲英《れんげそう》もちらほら見えたけれども。
 鳥打《とりうち》に手をかけて、
「つかんことを聞くがね、お前さんは何《なん》じゃないかい、この、其処《そこ》の角屋敷《かどやしき》の内《うち》の人じゃないかい。」
 親仁《おやじ》はのそりと向直《むきなお》って、皺《しわ》だらけの顔に一杯の日当り、桃の花に影がさしたその色に対して、打向《うちむか》うその方《ほう》の屋根の甍《いらか》は、白昼|青麦《あおむぎ》を※[#「火+共」、第3水準1−87−42]《あぶ》る空に高い。
「あの家《うち》のかね。」
「その二階のさ。」
「いんえ、違います。」
 と、いうことは素気《そっけ》ないが、話を振切《ふりき》るつもりではなさそうで、肩を一《ひと》ツ揺《ゆす》りながら、鍬《くわ》の柄《え》を返して地《つち》についてこっちの顔を見た。
「そうかい、いや、お邪魔をしたね、」
 これを機《しお》に、分れようとすると、片手で顱巻《はちまき》を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《かなぐ》り取って、
「どうしまして、邪魔も何もござりましねえ。はい、お前様《まえさま》、何か尋《たず》ねごとさっしゃるかね。彼処《あすこ》の家《うち》は表門《おもてもん》さ閉《しま》っておりませども、貸家《かしや》ではねえが……」
 その手拭《てぬぐい》を、裾《すそ》と一緒に、下からつまみ上げるように帯へ挟《はさ》んで、指を腰の両提《ふたつさ》げに突込《つきこ》んだ。これでは直ぐにも通れない。
「何ね、詰《つま》らん事さ。」
「はいい?」
「お爺さんが彼家《あすこ》の人ならそう言って行《ゆ》こうと思って、別に貸家を捜しているわけではないのだよ。奥の方で少《わか》い婦人《おんな》の声がしたもの、空家でないのは分ってるが、」
「そうかね、女中衆《じょちゅうしゅう》も二
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