》して休んだ。
 小獅子は一層|活溌《かっぱつ》に、衝《つ》と浪を追う、颯《さっ》と追われる。その光景、ひとえに人の児《こ》の戯《たわむ》れるようには見えず、かつて孤児院の児が此処《ここ》に来て、一種の監督の下に、遊んだのを見たが、それとひとつで、浮世の浪に揉《も》み立てられるかといじらしい。但《ただ》その頭《かしら》の獅子が怒り狂って、たけり戦う勢《いきおい》である。
 勝《かつ》では可《よ》い!
 ト草鞋《わらじ》を脱いで、跣足《はだし》になって横歩行《よこあるき》をしはじめた。あしを濡らして遊んでいる。
 大きい方は仰向《あおむ》けに母衣《ほろ》を敷いて、膝を小さな山形に寝た。
 磯《いそ》を横ッ飛《とび》の時は、その草鞋《わらじ》を脱いだばかりであったが、やがて脚絆《きゃはん》を取って、膝まで入って、静かに立っていたと思うと、引返《ひきかえ》して袴《はかま》を脱いで、今度は衣類《きもの》をまくって腰までつかって、二、三度|密《そっ》と潮《しお》をはねたが、またちょこちょこと取って返して、頭《かしら》を刎退《はねの》け、衣類《きもの》を脱いで、丸裸になって一文字に飛込《とびこ》んだ。陽気はそれでも可《よ》かったが、泳ぎは知らぬ児《こ》と見える。唯《ただ》勢《いきおい》よく、水を逆に刎《は》ね返した。手でなぐって、足で踏むを、海水は稲妻《いなずま》のように幼児《おさなご》を包んでその左右へ飛んだ。――雫《しずく》ばかりの音もせず――獅子はひとえに嬰児《みどりご》になった、白光《びゃくこう》は頭《かしら》を撫《な》で、緑波《りょくは》は胸を抱《いだ》いた。何らの寵児《ちょうじ》ぞ、天地《あめつち》の大きな盥《たらい》で産湯《うぶゆ》を浴びるよ。
 散策子はむくと起きて、ひそかにその幸福を祝するのであった。
 あとで聞くと、小児心《こどもごころ》にもあまりの嬉《うれ》しさに、この一幅《いっぷく》の春の海に対して、報恩《ほうおん》の志《こころざし》であったという。一旦《いったん》出て、浜へ上って、寝た獅子の肩の処《ところ》へしゃがんでいたが、対手《あいて》が起返《おきかえ》ると、濡れた身体《からだ》に、頭《かしら》だけ取って獅子を被《かつ》いだ。
 それから更に水に入った。些《ち》と出過《ですぎ》たと思うほど、分けられた波の脚《あし》は、二線《ふたすじ》長く広く尾を引いて、小獅子の姿は伊豆《いず》の岬に、ちょと小さな点になった。
 浜にいるのが胡坐《あぐら》かいたと思うと、テン、テン、テンテンツツテンテンテン波に丁《ちょう》と打込《うちこ》む太鼓、油のような海面《うなづら》へ、綾《あや》を流して、響くと同時に、水の中に立ったのが、一曲、頭《かしら》を倒《さかさま》に。
 これに眩《めくる》めいたものであろう、※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あな》忌《いま》わし、よみじの(ことづけ)を籠《こ》めたる獅子を、と見る内に、幼児《おさなご》は見えなくなった。
 まだ浮ばぬ。
 太鼓が止《や》んで、浜なるは棒立ちになった。
 砂山を慌《あわただ》しく一文字に駈けて、こなたが近《ちかづ》いた時、どうしたのか、脱ぎ捨てた袴《はかま》、着物、脚絆《きゃはん》、海草の乾《から》びた状《さま》の、あらゆる記念《かたみ》と一緒に、太鼓も泥草鞋《どろわらじ》も一《ひと》まとめに引《ひっ》かかえて、大きな渠《かれ》は、砂煙《すなけむり》を上げて町の方《かた》へ一散《いっさん》に遁《に》げたのである。
 浪《なみ》はのたりと打つ。
 ハヤ二、三人駈けて来たが、いずれも高声《たかごえ》の大笑い、
「馬鹿な奴だ。」
「馬鹿野郎。」
 ポクポクと来た巡査に、散策子が、縋《すが》りつくようにして、一言《ひとこと》いうと、
「角兵衛が、ははは、そうじゃそうで。」
 死骸《しがい》はその日|終日《ひねもす》見当らなかったが、翌日しらしらあけの引潮《ひきしお》に、去年の夏、庵室《あんじつ》の客が溺れたとおなじ鳴鶴《なきつる》ヶ|岬《さき》の岩に上《あが》った時は二人であった。顔が玉《たま》のような乳房《ちぶさ》にくッついて、緋母衣《ひほろ》がびっしょり、その雪の腕《かいな》にからんで、一人は美《び》にして艶《えん》であった。玉脇の妻は霊魂《れいこん》の行方《ゆくえ》が分ったのであろう。
 さらば、といって、土手の下で、分れ際《ぎわ》に、やや遠ざかって、見返った時――その紫の深張《ふかばり》を帯のあたりで横にして、少し打傾《うちかたむ》いて、黒髪《くろかみ》の頭《かしら》おもげに見送っていた姿を忘れぬ。どんなに潮《うしお》に乱れたろう。渚《なぎさ》の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅《くれない》、渚の雪、浪《な
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