ずれ、菜種に、と見るとやがて、足許《あしもと》からそなたへ続く青麦の畠《はたけ》の端、玉脇の門の前へ、出て来た連獅子《れんじし》。
 汚れた萌黄《もえぎ》の裁着《たッつけ》に、泥草鞋《どろわらじ》の乾いた埃《ほこり》も、霞《かすみ》が麦にかかるよう、志《こころざ》して何処《どこ》へ行《ゆ》く。早《はや》その太鼓を打留《うちや》めて、急足《いそぎあし》に近づいた。いずれも子獅子の角兵衛《かくべえ》大小《だいしょう》。小さい方は八ツばかり、上は十三―四と見えたが、すぐに久能谷《くのや》の出口を突切《つッき》り、紅白の牡丹《ぼたん》の花、はっと俤《おもかげ》に立つばかり、ひらりと前を行《ゆ》き過ぎる。
「お待ちちょいと、」
 と声をかけた美女《たおやめ》は起直《おきなお》った。今の姿をそのままに、雪駄《せった》は獅子の蝶に飛ばして、土手の草に横坐《よこずわ》りになる。
 ト獅子は紅《くれない》の切《きれ》を捌《さば》いて、二つとも、立って頭《かしら》を向けた。
「ああ、あの、児《こ》たち、お待ちなね。」
 テンテンテン、(大きい方が)トンと当てると、太鼓の面《おも》に撥《ばち》が飛んで、ぶるぶると細《こまか》に躍《おど》る。
「アリャ」
 小獅子は路《みち》へ橋に反《そ》った、のけ様《ざま》の頤《あぎと》ふっくりと、二《ふた》かわ目《め》に紅《こう》を潮《ちょう》して、口許《くちもと》の可愛《かわい》らしい、色の白い児《こ》であった。

       三十四

「おほほほ、大層勉強するわねえ、まあ、お待ちよ。あれさ、そんなに苦しい思いをして引《ひっ》くりかえらなくっても可《い》いんだよ、可いんだよ。」
 と圧《おさ》えつけるようにいうと、ぴょいと立直《たちなお》って頭《かしら》の堆《うずたか》く大きく突出《つきで》た、紅《くれない》の花の廂《ひさし》の下に、くるッとした目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って立った。
 ブルブルッと、跡《あと》を引いて太鼓が止《や》む。
 美女《たおやめ》は膝をずらしながら、帯に手をかけて、揺《ゆ》り上げたが、
「お待ちよ、今お銭《あし》を上《あげ》るからね、」
 手帳の紙へはしり書《がき》して、一枚|手許《てもと》へ引切《ひきき》った、そのまま獅子をさし招いて、
「おいでおいで、ああ、お前ね、これを持って、その角《かど》の二階家へ行って取っておいで。」
 留守へ言いつけた為替《かわせ》と見える。
 後馳《おくれば》せに散策子は袂《たもと》へ手を突込《つきこ》んで、
「細《こまか》いのならありますよ。」
「否《いいえ》、可《よ》うござんすよ、さあ、兄《あに》や、行って来な。」
 撥《ばち》を片手で引《ひッ》つかむと、恐る恐る差出《さしだ》した手を素疾《すばや》く引込《ひっこ》め、とさかをはらりと振って行《ゆ》く。
「さあ、お前こっちへおいで、」
 小さな方を膝許《ひざもと》へ。
 きょとんとして、ものも言わず、棒を呑んだ人形のような顔を、凝《じっ》と見て、
「幾歳《いくつ》なの、」
「八歳《やッつ》でごぜえス。」
「母《おっか》さんはないの、」
「角兵衛に、そんなものがあるもんか。」
「お前は知らないでもね、母様《おっかさん》の方は知ってるかも知れないよ、」
 と衝《つ》と手を袴越《はかまごし》に白くかける、とぐいと引寄《ひきよ》せて、横抱きに抱くと、獅子頭《ししがしら》はばくりと仰向《あおむ》けに地を払って、草鞋《わらんじ》は高く反《そ》った。鶏《とり》の羽《はね》の飾《かざり》には、椰子《やし》の葉を吹く風が渡る。
「貴下《あなた》、」
 と落着《おちつ》いて見返って、
「私の児《こ》かも知れないんですよ。」
 トタンに、つるりと腕《かいな》を辷《すべ》って、獅子は、倒《さかさ》にトンと返って、ぶるぶると身体《からだ》をふったが、けろりとして突立《つッた》った。
「えへへへへへ、」
 此処《ここ》へ勢《いきおい》よく兄獅子が引返《ひきかえ》して、
「頂いたい、頂いたい。」
 二つばかり天窓《あたま》を掉《ふ》ったが、小さい方の背中を突いて、テンとまた撥《ばち》を当てる。
「可《い》いよ、そんなことをしなくっても、」
 と裳《もすそ》をずりおろすようにして止《と》めた顔と、まだ掴《つか》んだままの大《おおき》な銀貨とを互《たがい》に見較《みくら》べ、二個《ふたり》ともとぼんとする。時に朱盆《しゅぼん》の口を開いて、眼《まなこ》を輝《かがやか》すものは何。
「そのかわり、ことづけたいものがあるんだよ、待っておくれ。」
 とその○□△を楽書《らくがき》の余白へ、鉛筆を真直《まっすぐ》に取ってすらすらと春の水の靡《なび》くさまに走らした仮名《かな》は、かくれもなく、散策子に読得《よみえ
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