ねえ。どうしべいな、長アくして思案のしていりゃ、遠くから足の尖《さき》を爪立《つまだ》って、お殺しでない、打棄《うっちゃ》っておくれ、御新姐《ごしんぞ》は病気のせいで物事《ものごと》気にしてなんねえから、と女中たちが口を揃《そろ》えていうもんだでね、芸《げえ》もねえ、殺生《せっしょう》するにゃ当らねえでがすから、藪畳《やぶだた》みへ潜《もぐ》らして退《の》けました。
御新姐《ごしんぞ》は、気分が勝《すぐ》れねえとって、二階に寝てござらしけえ。
今しがた小雨《こさめ》が降って、お天気が上ると、お前様《めえさま》、雨よりは大きい紅色《べにいろ》の露がぽったりぽったりする、あの桃の木の下の許《とこ》さ、背戸口《せどぐち》から御新姐《ごしんぞ》が、紫色の蝙蝠傘《こうもりがさ》さして出てござって、(爺《じい》やさん、今ほどはありがとう。その厭《いや》なもののいた事を、通りがかりに知らして下すったお方は、巌殿《いわど》の方へおいでなすったというが、まだお帰りになった様子はないかい。)ッて聞かしった。
(どうだかね、私《わし》、内方《うちかた》へ参ったは些《ちい》との間《ま》だし、雨に駈出《かけだ》しても来さっしゃらねえもんだで、まだ帰らっしゃらねえでごぜえましょう。
それとも身軽でハイずんずん行かっせえたもんだで、山越しに名越《なごえ》の方さ出《だ》さっしゃったかも知れましねえ、)言うたらばの。
(お見上げ申したら、よくお礼を申して下さいよ。)ッてよ。
その溝さ飛越《とびこ》して、その路《みち》を、」
垣の外のこなたと同一《おんなじ》通筋《とおりすじ》。
「ハイぶうらりぶうらり、谷戸《やと》の方へ、行かしっけえ。」
と言いかけて身体《からだ》ごと、この巌殿《いわど》から橿原《かしわばら》へ出口の方へ振向いた。身の挙動《こなし》が仰山《ぎょうさん》で、さも用ありげな素振《そぶり》だったので、散策子もおなじくそなたを。……帰途《かえるさ》の渠《かれ》にはあたかも前途《ゆくて》に当る。
「それ見えるでがさ。の、彼処《あすこ》さ土手の上にござらっしゃる。」
錦《にしき》の帯を解いた様な、媚《なま》めかしい草の上、雨のあとの薄霞《うすがすみ》、山の裾《すそ》に靉靆《たなび》く中《うち》に一張《いっちょう》の紫《むらさき》大きさ月輪《げつりん》の如く、はた菫《すみれ》の花束に
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