豆納豆――というのだの、東京というのですの、店前《みせさき》だの、小僧が門口《かどぐち》を掃いている処《ところ》だと申しますのが、何んだか懐《なつか》しい、両親の事や、生れました処なんぞ、昔が思い出されまして、身体《からだ》を煮られるような心持がして我慢が出来ないで、掻巻《かいまき》の襟《えり》へ喰《く》いついて、しっかり胸を抱《だ》いて、そして恍惚《うっとり》となっておりますと、やがて、些《ち》と強く雨が来て当ります時、内《うち》の門《かど》へ参ったのでございます。
(ええ、ええ、ええ、)
と言い出すじゃございませんか。
(お話はお馴染《なじみ》の東京|世渡草《よわたりぐさ》、商人《あきんど》の仮声《こわいろ》物真似《ものまね》。先ず神田辺《かんだへん》の事でござりまして、ええ、大家《たいけ》の店さきでござります。夜《よ》のしらしらあけに、小僧さんが門口《かどぐち》を掃いておりますと、納豆納豆――)
とだけ申して、
(ええ、お御酒《みき》を頂きまして声が続きません、助けて遣《や》っておくんなさい。)
と一|分《ぶ》一|厘《りん》おなじことを、おなじ調子でいうんですもの。私の門《かど》へ来ましたまでに、遠くから丁《ちょう》ど十三|度《たび》聞いたのでございます。」
三十二
「女中が直ぐに出なかったんです。
(ねえ、助けておくんなさいな、お御酒《みき》を頂いたもんだからね、声が続かねえんで、えへ、えへ、)
厭《いや》な咳《せき》なんぞして、
(遣《や》っておくんなさいよ、飲み過ぎて切《せつ》ねえんで、助けておくんなさい、お願《ねげ》えだ。)
と言って独言《ひとりごと》のように、貴下《あなた》、
(遣《や》り切《きれ》ねえや、)ッて、いけ太々《ふとぶと》しい容子《ようす》ったらないんですもの。其処《そこ》らへ、べッべッ唾《つば》をしっかけていそうですわ。
小銭《こぜに》の音をちゃらちゃらとさして、女中が出そうにしましたから、
(光《みつ》かい、光や、)
と呼んで、二階の上《あが》り口へ来ましたのを、押留《おしと》めるように、床《とこ》の中から、
(何んだね、)
と自分でも些《ち》と尖々《とげとげ》しく言ったんです。
(門附《かどづけ》でございます。)
(芸人《げいにん》かい!)
(はい、)
ッて吃驚《びっくり》していました。
(不可《
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