爺《じい》さんが、蛇をつかまえに行った時に、貴女《あなた》はお二階に、と言って、ちょっと御様子を漏《も》らしただけです。それも唯《ただ》御気分が悪いとだけ。
私の形を見て、お心持が悪くなったなんぞって事は、些《ちっ》とも話しませんから、知ろう道理《どうり》はないのです。但《ただ》礼をおっしゃるかも知れんというから、其奴《そいつ》は困ったと思いましたけれども、此処《ここ》を通らないじゃ帰られませんもんですから。こうと分ったら穴へでも入るんだっけ。お目にかかるのじゃなかったんです。しかし私が知らないで、二階から御覧なすっただけは、そりゃ仕方がない。」
「まだ、あんな事をおっしゃるよ。そうお疑いなさるんなら申しましょう。貴下《あなた》、このまあ麗《うらら》かな、樹も、草も、血があれば湧《わ》くんでしょう。朱《しゅ》の色した日の光にほかほかと、土も人膚《ひとはだ》のように暖《あたたこ》うござんす。竹があっても暗くなく、花に陰もありません。燃えるようにちらちら咲いて、水へ散っても朱塗《しゅぬり》の杯《さかずき》になってゆるゆる流れましょう。海も真蒼《まっさお》な酒のようで、空は、」
と白い掌《たなそこ》を、膝に仰向《あおむ》けて打仰《うちあお》ぎ、
「緑の油のよう。とろとろと、曇《くもり》もないのに淀《よど》んでいて、夢を見ないかと勧めるようですわ。山の形も柔《やわら》かな天鵞絨《びろうど》の、ふっくりした括枕《くくりまくら》に似ています。そちこち陽炎《かげろう》や、糸遊《いとゆう》がたきしめた濃いたきもののように靡《なび》くでしょう。雲雀《ひばり》は鳴こうとしているんでしょう。鶯《うぐいす》が、遠くの方で、低い処《ところ》で、こちらにも里がある、楽しいよ、と鳴いています。何不足のない、申分《もうしぶん》のない、目を瞑《ねむ》れば直ぐにうとうとと夢を見ますような、この春の日中《ひなか》なんでございますがね、貴下《あなた》、これをどうお考えなさいますえ。」
「どうと言って、」
と言《ことば》に連れられた春のその日中《ひなか》から、瞳《ひとみ》を美女《たおやめ》の姿にかえした。
「貴下《あなた》は、どんなお心持がなさいますえ、」
「…………」
「お楽《たのし》みですか。」
「はあ、」
「お嬉《うれ》しゅうございますか。」
「はあ、」
「お賑《にぎや》かでございますか。」
「
前へ
次へ
全29ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング