春昼後刻
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)間《ま》もなく
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)迷惑|処《どころ》では
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って
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二十四
この雨は間《ま》もなく霽《は》れて、庭も山も青き天鵞絨《びろうど》に蝶花《ちょうはな》の刺繍《ぬいとり》ある霞《かすみ》を落した。何んの余波《なごり》やら、庵《いおり》にも、座にも、袖《そで》にも、菜種《なたね》の薫《かおり》が染《し》みたのである。
出家は、さて日《ひ》が出口《でぐち》から、裏山のその蛇《じゃ》の矢倉《やぐら》を案内しよう、と老実《まめ》やかに勧めたけれども、この際、観音《かんおん》の御堂《みどう》の背後《うしろ》へ通り越す心持《こころもち》はしなかったので、挨拶《あいさつ》も後日《ごじつ》を期して、散策子は、やがて庵《いおり》を辞した。
差当《さしあた》り、出家の物語について、何んの思慮もなく、批評も出来ず、感想も陳《の》べられなかったので、言われた事、話されただけを、不残《のこらず》鵜呑《うの》みにして、天窓《あたま》から詰込《つめこ》んで、胸が膨《ふく》れるまでになったから、独《ひと》り静《しずか》に歩行《ある》きながら、消化《こな》して胃の腑《ふ》に落ちつけようと思ったから。
対手《あいて》も出家だから仔細《しさい》はあるまい、(さようなら)が些《ち》と唐突《だしぬけ》であったかも知れぬ。
ところで、石段を背後《うしろ》にして、行手《ゆくて》へ例の二階を置いて、吻《ほっ》と息をすると……、
「転寐《うたたね》に……」
と先《ま》ず口の裏《うち》でいって見て、小首を傾けた。杖《ステッキ》が邪魔なので腕《かいな》の処《ところ》へ揺《ゆす》り上げて、引包《ひきつつ》んだその袖《そで》ともに腕組をした。菜種の花道《はなみち》、幕の外の引込《ひっこ》みには引立《ひった》たない野郎姿《やろうすがた》。雨上りで照々《てかてか》と日が射すのに、薄く一面にねんばりした足許《あしもと》、辷《すべ》って転ばねば可《よ》い。
「恋しき人を見てしより……夢てふ
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