くれなゐ》と、――此《こ》の菖蒲《しやうぶ》の紫《むらさき》であつた。
 ながめて居《ゐ》る目《め》が、やがて心《こゝろ》まで、うつろに成《な》つて、あツと思《おも》ふ、つい目《め》さきに、又《また》うつくしいものを見《み》た。丁《ちやう》ど瞳《ひとみ》を離《はな》して、あとへ一歩《ひとあし》振向《ふりむ》いた處《ところ》が、川《かは》の瀬《せ》の曲角《まがりかど》で、やゝ高《たか》い向岸《むかうぎし》の、崖《がけ》の家《うち》の裏口《うらぐち》から、巖《いは》を削《けづ》れる状《さま》の石段《いしだん》五六段《ごろくだん》を下《お》りた汀《みぎは》に、洗濯《せんたく》ものをして居《ゐ》た娘《むすめ》が、恰《あたか》もほつれ毛《げ》を掻《か》くとて、すんなりと上《あ》げた眞白《まつしろ》な腕《うで》の空《そら》ざまなのが睫毛《まつげ》を掠《かす》めたのである。
 ぐらり、がたがたん。
「あぶない。」
「いや、これは。」
 すんでの處《ところ》。――落《お》つこちるのでも、身投《みなげ》でも、はつと抱《だ》きとめる救手《すくひて》は、何《なん》でも不意《ふい》に出《で》る方《はう》が人氣
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