げて、その男のために苦労しそうにさえ思われた。
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「これなる松にうつくしき衣《ころも》掛《かか》れり、寄りて見れば色香|妙《たえ》にして……」
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と謡っている。木納屋の傍《わき》は菜畑で、真中《まんなか》に朱を輝かした柿の樹がのどかに立つ。枝に渡して、ほした大根のかけ紐《ひも》に青貝ほどの小朝顔が縋《すが》って咲いて、つるの下に朝霜の焚火《たきび》の残ったような鶏頭が幽《かすか》に燃えている。その陽だまりは、山霊に心あって、一封のもみじの音信《たより》を投げた、玉章《たまずさ》のように見えた。
里はもみじにまだ早い。
露地が、遠目鏡《とおめがね》を覗《のぞ》く状《さま》に扇形《おうぎなり》に展《ひら》けて視《なが》められる。湖と、船大工と、幻の天女と、描ける玉章を掻乱《かきみだ》すようで、近く歩《あゆみ》を入るるには惜《おし》いほどだったから……
私は――
(これは城崎関弥《きざきせきや》と言う、筆者の友だちが話したのである。)
――道をかえて、たとえば、宿の座敷から湖の向うにほんのりと、薄い霧に包まれた、白砂の小松山の方に向ったのである。
小店の障子に貼紙《はりがみ》して、
(今日より昆布《こぶ》まきあり候。)
……のんびりとしたものだ。口上が嬉しかったが、これから漫歩《そぞろあるき》というのに、こぶ巻は困る。張出しの駄菓子に並んで、笊《ざる》に柿が並べてある。これなら袂《たもと》にも入ろう。「あり候」に挨拶《あいさつ》の心得で、
「おかみさん、この柿は……」
天井裏の蕃椒《とうがらし》は真赤《まっか》だが、薄暗い納戸から、いぼ尻まきの顔を出して、
「その柿かね。へい、食べられましない。」
「はあ?」
「まだ渋が抜けねえだでね。」
「はあ、ではいつ頃食べられます。」
きく奴《やつ》も、聞く奴だが、
「早うて、……来月の今頃だあねえ。」
「成程。」
まったく山家《やまが》はのん気だ。つい目と鼻のさきには、化粧煉瓦《けしょうれんが》で、露台《バルコニイ》と言うのが建っている。別館、あるいは新築と称して、湯宿一軒に西洋づくりの一部は、なくてはならないようにしている盛場でありながら。
「お邪魔をしました。」
「よう、おいで。」
また、おかしな事がある。……くどいと不可《いけな》い。道具だてはしないが、硝
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