さつ》痛み入りますこと。お勝手からこちらまで、随分遠方でござんすからねえ。」
「憚り様ね。」
「ちっとも憚り様なことはありやしません。謹さん、」
「何ね、」
「貴下《あなた》、その(憚り様ね)を、端書を読む、つなぎに言ってるのね。ほほほほ。」
謹さんも莞爾《にっこり》して、
「お話しなさい。」
「難有《ありがと》う、」
「さあ、こちらへ。」
「はい、誠にどうも難有う存じます、いいえ、どうぞもう、どうぞ、もう。」
「早速だ、おやおや。」
「大分丁寧でございましょう。」
「そんな皮肉を言わないで、坊やは?」
「寝ました。」
「母は?」
「行火《あんか》で、」と云って、肱《ひじ》を曲げた、雪なす二の腕、担いだように寝て見せる。
「貴女《あなた》にあまえているんでしょう。どうして、元気な人ですからね、今時行火をしたり、宵の内から転寝《うたたね》をするような人じゃないの。鉄は居ませんか。」
「女中さんは買物に、お汁《みおつけ》の実を仕入れるのですって。それから私がお道楽、翌日《あした》は田舎料理を達引《たてひ》こうと思って、ついでにその分も。」
「じゃ階下《した》は寂《さみ》しいや、お話しなさい。」
お民はそのまま、すらりと敷居へ、後手を弱腰に、引っかけの端をぎゅうと撫《な》で、軽《かろ》く衣紋《えもん》を合わせながら、後姿の襟清く、振返って入ったあと、欄干《てすり》の前なる障子を閉めた。
「ここが開《あ》いていちゃ寒いでしょう。」
「何だかぞくぞくするようね、悪い陽気だ。」
と火鉢を前へ。
「開《あけ》ッ放しておくからさ。」
「でもお民さん、貴女が居るのに、そこを閉めておくのは気になります。」
時に燈に近う来た。瞼《まぶた》に颯《さっ》と薄紅《うすくれない》。
二
坐《すわ》ると炭取を引寄せて、火箸《ひばし》を取って俯向《うつむ》いたが、
「お礼に継いで上げましょうね。」
「どうぞ、願います。」
「まあ、人様のもので、義理をするんだよ、こんな呑気《のんき》ッちゃありやしない。串戯《じょうだん》はよして、謹さん、東京《こっち》は炭が高いんですってね。」
主人《あるじ》は大胡座《おおあぐら》で、落着澄まし、
「吝《けち》なことをお言いなさんな、お民さん、阿母《おふくろ》は行火《あんか》だというのに、押入には葛籠《つづら》へ入って、まだ蚊帳《かや》が
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング