き》の穿物《はきもの》は、むさくるしいほど泥塗《どろまみ》れであるが、惟《おも》ふに玄關番《げんくわんばん》の學僕《がくぼく》が、悲憤《ひふん》慷慨《かうがい》の士《し》で、女《をんな》の足《あし》につけるものを打棄《うつちや》つて置《お》くのであらう。
其《そ》の穿物《はきもの》が重《おも》いために、細君《さいくん》の足《あし》の運《はこ》び敏活《びんくわつ》ならず。が其《それ》の所爲《せゐ》で散策《さんさく》に恁《かゝ》る長時間《ちやうじかん》を費《つひや》したのではない。
最《もつと》も神樂坂《かぐらざか》を歩行《ある》くのは、細君《さいくん》の身《み》に取《と》つて、些《ちつ》とも樂《たのし》みなことはなかつた。既《すで》に日《ひ》の内《うち》におさんを連《つ》れて、其《そ》の折《をり》は、二枚袷《にまいあはせ》に長襦袢《ながじゆばん》、小紋《こもん》縮緬《ちりめん》三《み》ツ紋《もん》の羽織《はおり》で、白足袋《しろたび》。何《なん》のためか深張傘《ふかばりがさ》をさして、一度《いちど》、やすもの賣《うり》の肴屋《さかなや》へ、お總菜《そうざい》の鰡《ぼら》を買《か》ひに出《で》たから。
茗荷谷《みやうがだに》
「おう、苺《いちご》だ苺《いちご》だ、飛切《とびきり》の苺《いちご》だい、負《まか》つた負《まか》つた。」
小石川《こいしかは》茗荷谷《みやうがだに》から臺町《だいまち》へ上《あが》らうとする爪先《つまさき》上《あが》り。兩側《りやうがは》に大藪《おほやぶ》があるから、俗《ぞく》に暗《くら》がり坂《ざか》と稱《とな》へる位《ぐらゐ》、竹《たけ》の葉《は》の空《そら》を鎖《とざ》して眞暗《まつくら》な中《なか》から、烏瓜《からすうり》の花《はな》が一面《いちめん》に、白《しろ》い星《ほし》のやうな瓣《はなびら》を吐《は》いて、東雲《しのゝめ》の色《いろ》が颯《さつ》と射《さ》す。坂《さか》の上《うへ》の方《はう》から、其《そ》の苺《いちご》だ、苺《いちご》だ、と威勢《ゐせい》よく呼《よば》はりながら、跣足《はだし》ですた/\と下《お》りて來《く》る、一名《いちめい》の童《わつぱ》がある。
嬉《うれ》しくツて/\、雀躍《こをどり》をするやうな足《あし》どりで、「やつちあ場《ば》ア負《まか》つたい。おう、負《まか》つた、負《まか》つた、わつしよい/\。」
やがて坂《さか》の下口《おりくち》に來《き》て、もう一足《ひとあし》で、藪《やぶ》の暗《くら》がりから茗荷谷《みやうがだに》へ出《で》ようとする時《とき》、
「おくんな。」と言《い》つて、藪《やぶ》の下《した》をちよこ/\と出《で》た、九《こゝの》ツばかりの男《をとこ》の兒《こ》。脊丈《せたけ》より横幅《よこはゞ》の方《はう》が廣《ひろ》いほどな、提革鞄《さげかばん》の古《ふる》いのを、幾處《いくところ》も結目《むすびめ》を拵《こしら》へて肩《かた》から斜《なゝ》めに脊負《せお》うてゐる。
これは界隈《かいわい》の貧民《ひんみん》の兒《こ》で、つい此《こ》の茗荷谷《みやうがだに》の上《うへ》に在《あ》る、補育院《ほいくゐん》と稱《とな》へて月謝《げつしや》を取《と》らず、時《とき》とすると、讀本《とくほん》、墨《すみ》の類《るゐ》が施《ほどこし》に出《で》て、其上《そのうへ》、通學《つうがく》する兒《こ》の、其《そ》の日《ひ》暮《ぐら》しの親達《おやたち》、父親《ちゝおや》なり、母親《はゝおや》なり、日《ひ》を久《ひさ》しく煩《わづら》つたり、雨《あめ》が降續《ふりつゞ》いたり、窮境《きうきやう》目《め》も當《あ》てられない憂目《うきめ》に逢《あ》ふなんどの場合《ばあひ》には、教師《けうし》の情《なさけ》で手當《てあて》の出《で》ることさへある、院《ゐん》といふが私立《しりつ》の幼稚園《えうちゑん》をかねた小學校《せうがくかう》へ通學《つうがく》するので。
今《いま》大塚《おほつか》の樹立《こだち》の方《はう》から颯《さつ》と光線《くわうせん》を射越《いこ》して、露《つゆ》が煌々《きら/\》する路傍《ろばう》の草《くさ》へ、小《ちひ》さな片足《かたあし》を入《い》れて、上《うへ》から下《お》りて來《く》る者《もの》の道《みち》を開《ひら》いて待構《まちかま》へると、前《まへ》とは違《ちが》ひ、歩《ほ》を緩《ゆる》う、のさ/\と顯《あら》はれたは、藪龜《やぶがめ》にても蟇《ひき》にても……蝶々《てふ/\》蜻蛉《とんぼ》の餓鬼大將《がきだいしやう》。
駄々《だゞ》を捏《こ》ぬて、泣癖《なきくせ》が著《つ》いたらしい。への字《じ》形《なり》の曲形口《いがみぐち》、兩《りやう》の頬邊《ほゝべた》へ高慢《かうまん》な筋《すぢ》を入《い》れて、
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