ない。掌《たなそこ》に障《さは》つたのは寒《さむ》い旭《あさひ》の光線《くわうせん》で、夜《よ》はほの/″\と明《あ》けたのであつた。
 學士《がくし》は昨夜《さくや》、礫川《こいしかは》なる其《その》邸《やしき》で、確《たしか》に寢床《ねどこ》に入《はひ》つたことを知《し》つて、あとは恰《あたか》も夢《ゆめ》のやう。今《いま》を現《うつゝ》とも覺《おぼ》えず。唯《と》見《み》れば池《いけ》のふちなる濡《ぬ》れ土《つち》を、五六|寸《すん》離《はな》れて立《た》つ霧《きり》の中《なか》に、唱名《しやうみやう》の聲《こゑ》、鈴《りん》の音《おと》、深川木場《ふかがはきば》のお柳《りう》が※[#「姉」の正字、「※[#第3水準1−85−57]」の「木」に代えて「女」、720−15]《あね》の門《かど》に紛《まぎ》れはない。然《しか》も面《おもて》を打《う》つ一脈《いちみやく》の線香《せんかう》の香《にほひ》に、學士《がくし》はハツと我《われ》に返《かへ》つた。何《なに》も彼《か》も忘《わす》れ果《は》てて、狂氣《きやうき》の如《ごと》く、其《その》家《や》を音信《おとづ》れて聞《き》くと、お
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