参るのじゃ。)
 源助、宮浜の児を遣ったあとで、天窓《あたま》を引抱《ひっかか》えて、こう、風の音を忘れるように沈《じっ》と考えると、ひょい、と火を磨《す》るばかりに、目に赤く映ったのが、これなんだ。」
 と両手で控帳の端を取って、斜めに見せると、楷書《かいしょ》で細字《さいじ》に認《したた》めたのが、輝くごとく、もそりと出した源助の顔に赫《か》ッと照って見えたのは、朱で濃く、一面の文字《もんじ》である。
「へい。」
「な、何からはじまった事だか知らんが、ちょうど一週間前から、ふと朱でもって書き続けた、こりゃ学校での、私の日記だ。
 昨日《きのう》は日曜で抜けている。一週間。」
 と颯《さっ》と紙が刎《は》ねて、小口をばらばらと繰返すと、戸外《おもて》の風の渦巻に、一ちぎれの赤い雲が卓子《テエブル》を飛ぶ気勢《けはい》する。
「この前の時間にも、(暴風)に書いて消して(烈風)をまた消して(颶風《ぐふう》)なり、と書いた、やっぱり朱で、見な……
 しかも変な事には、何を狼狽《うろたえ》たか、一枚半だけ、罫紙《けいし》で残して、明日の分を、ここへ、これ(火曜)としたぜ。」
 と指す指が、ひッつりのように、びくりとした。
「読本が火の処……源助、どう思う。他《ほか》の先生方は皆《みん》な私より偉いには偉いが年下だ。校長さんもずッとお少《わか》い。
 こんな相談は、故老《ころう》に限ると思って呼んだ。どうだろう。万一の事があるとなら、あえて宮浜の児一人でない。……どれも大事な小児《こども》たち――その過失《あやまち》で、私が学校を止《や》めるまでも、地※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]《じだんだ》を踏んでなりと直ぐに生徒を帰したい。が、何でもない事のようで、これがまた一大事だ。いやしくも父兄が信頼して、子弟の教育を委《ゆだ》ねる学校の分として、婦《おんな》、小児《こども》や、茱萸《ぐみ》ぐらいの事で、臨時休業は沙汰《さた》の限りだ。
 私一人の間抜《まぬけ》で済まん。
 第一そような迷信は、任《にん》として、私等が破って棄ててやらなけりゃならんのだろう。そうかッてな、もしやの事があるとすると、何より恐ろしいのはこの風だよ。ジャンと来て見ろ、全市|瓦《かわら》は数えるほど、板葺屋根《いたぶきやね》が半月の上も照込んで、焚附《たきつけ》同様。――何と私等が高台の
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