》はたちまち力を得て、ここを先途《せんど》と漕《こ》げども、盪《お》せども、ますます暴《あ》るる浪《なみ》の勢《いきおい》に、人の力は限《かぎり》有《あ》りて、渠《かれ》は身神《しんしん》全く疲労して、将《まさ》に昏倒《こんとう》せんとしたりければ、船は再び危《あやう》く見えたり。
「取舵《とりかじ》!」と雷《らい》のごとき声はさらに一喝《いっかつ》せり。半死の船子《ふなこ》は最早《もはや》神明《しんめい》の威令《いれい》をも奉《ほう》ずる能《あた》わざりき。
学生の隣に竦《すく》みたりし厄介者《やっかいもの》の盲翁《めくらおやじ》は、この時《とき》屹然《きつぜん》と立ちて、諸肌《もろはだ》寛《くつろ》げつつ、
「取舵《とりかじ》だい※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と叫ぶと見えしが、早くも舳《とも》の方《かた》へ転行《ころげゆ》き、疲れたる船子《ふなこ》の握れる艪《ろ》を奪いて、金輪際《こんりんざい》より生えたるごとくに突立《つった》ちたり。
「若い衆《しゅ》、爺《おやじ》が引受けた!」
この声とともに、船子《ふなこ》は礑《はた》と僵《たお》れぬ。
一|艘《そう》の厄介船《やっかいぶね》と、八人の厄介《やっかい》船頭と、二十余人の厄介《やっかい》客とは、この一個の厄介物《やっかいもの》の手に因《よ》りて扶《たす》けられつつ、半時間の後《のち》その命を拾いしなり。この老《お》いて盲《めしい》なる活大権現《かつだいごんげん》は何者ぞ。渠《かれ》はその壮時《そうじ》において加賀《かが》の銭屋内閣《ぜにやないかく》が海軍の雄将《ゆうしょう》として、北海《ほっかい》の全権を掌握《しょうあく》したりし磁石《じしゃく》の又五郎《またごろう》なりけり。
底本:「新潟県文学全集 第1巻 明治編」郷土出版社
1995(平成7)年10月26日発行
底本の親本:「泉鏡花全集1」岩波書店
初出:「太陽 創刊号」
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月18日作成
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