へし》に遭《あ》はざるはなかりし。渠等《かれら》の無頼《ぶらい》なる幾度《いくたび》も此《この》擧動《きよどう》を繰返《くりかへ》すに憚《はゞか》る者《もの》ならねど、衆《ひと》は其《その》乞《こ》ふが隨意《まゝ》に若干《じやくかん》の物品《もの》を投《とう》じて、其《その》惡戲《あくぎ》を演《えん》ぜざらむことを謝《しや》するを以《も》て、蛇食《へびくひ》の藝《げい》は暫時《ざんじ》休憩《きうけい》を呟《つぶや》きぬ。
渠等《かれら》米錢《べいせん》を惠《めぐ》まるゝ時《とき》は、「お月樣《つきさま》幾《いく》つ」と一齊《いつせい》に叫《さけ》び連《つ》れ、後《あと》をも見《み》ずして走《はし》り去《さ》るなり。ただ貧家《ひんか》を訪《と》ふことなし。去《さ》りながら外面《おもて》に窮乏《きうばふ》を粧《よそほ》ひ、嚢中《なうちう》却《かへつ》て温《あたゝか》なる連中《れんぢう》には、頭《あたま》から此《この》一藝《いちげい》を演《えん》じて、其家《そこ》の女房《にようばう》娘等《むすめら》が色《いろ》を變《へん》ずるにあらざれば、決《けつ》して止《や》むることなし。法《はふ》はいまだ一個人《いつこじん》の食物《しよくもつ》に干渉《かんせふ》せざる以上《いじやう》は、警吏《けいり》も施《ほどこ》すべき手段《しゆだん》なきを如何《いかん》せむ。
蝗《いなご》、蛭《ひる》、蛙《かへる》、蜥蜴《とかげ》の如《ごど》きは、最《もつと》も喜《よろこ》びて食《しよく》する物《もの》とす。語《ご》を寄《よ》す(應《おう》)よ、願《ねが》はくはせめて糞汁《ふんじふ》を啜《すゝ》ることを休《や》めよ。もし之《これ》を味噌汁《みそしる》と洒落《しやれ》て用《もち》ゐらるゝに至《いた》らば、十|萬石《まんごく》の稻《いね》は恐《おそ》らく立處《たちどころ》に枯《か》れむ。
最《もつと》も饗膳《きやうぜん》なりとて珍重《ちんちよう》するは、長蟲《ながむし》の茹初《ゆでたて》なり。蛇《くちなは》[#ルビの「くちなは」は底本では「くちはな」]の料理《れうり》鹽梅《あんばい》を潛《ひそ》かに見《み》たる人《ひと》の語《かた》りけるは、(應《おう》)が常住《じやうぢう》の居所《ゐどころ》なる、屋根《やね》なき褥《しとね》なき郷《がう》屋敷田畝《やしきたんぼ》の眞中《まんなか》に、銅《あかゞ
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