こりゃ。面《つら》を上げろ。――どうだ。
初の烏 御前様《ごぜんさま》、あれ……
紳士 (杖《ステッキ》をもって、その裾《すそ》を圧《おさ》う)ばさばさ騒ぐな。槍《やり》で脇腹を突かれる外に、樹の上へ得《え》上る身体《からだ》でもないに、羽ばたきをするな、女郎《めろう》、手を支《つ》いて、静《じっ》として口をきけ。
初の烏 真《まこと》に申訳のございません、飛んだ失礼をいたしました。……先達《せんだ》って、奥様がお好みのお催しで、お邸《やしき》に園遊会の仮装がございました時、私《わたくし》がいたしました、あの、このこしらえが、余りよく似合ったと、皆様がそうおっしゃいましたものでございますから、つい、心得違いな事をはじめました。あの……後で、御前様が御旅行を遊ばしましたお留守中は、お邸にも御用が少うございますものですから、自分の買もの、用達《ようた》しだの、何のと申して、奥様にお暇を頂いては、こんな処へ出て参りまして、偶《たま》に通りますものを驚かしますのが面白くてなりませんので、つい、あの、癖になりまして、今晩も……旦那様に申訳のございません失礼をいたしました。どうぞ、御免遊ばして下さいまし。
紳士 言う事はそれだけか。
初の烏 はい?(聞返す。)
紳士 俺に云う事は、それだけか、女郎《めろう》。
初の烏 あの、(口籠《くちごも》る)今夜はどういたしました事でございますか、私《わたくし》の形《なり》……あの、影法師が、この、野中の宵闇《よいやみ》に判然《はっきり》と見えますのでございます。それさえ気味が悪うございますのに、気をつけて見ますと、二つも三つも、私《わたくし》と一所に動きますのでございますもの。
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三方に分れて彳《たたず》む、三羽の烏、また打頷《うちうなず》く。
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 もう可恐《おそろし》くなりまして、夢中で駈出しましたものですから、御前様に、つい――あの、そして……御前様は、いつ御旅行さきから。
紳士 俺の旅行か。ふふん。(自ら嘲《あざ》ける口吻《くちぶり》)汝《きさま》たちは、俺が旅行をしたと思うか。
初の烏 はい、一昨日から、北海道の方へ。
紳士 俺の北海道は、すぐに俺の邸の周囲じゃ。
初の烏 はあ、(驚く。)
紳士 俺の旅行は、冥土《
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