の淋しい。お雪は草の中にすッくと立って、じっと男の方を視《なが》めたが、爪先《つまさき》を軽く、するすると縁側に引返《ひっかえ》して、ものありげに――こうつんとした事は今までにはなかったが――黙って柄の方から団扇を受取り、手を返して、爪立《つまだ》って、廂を払うと、ふッと消えた、光は飜《ひるがえ》した団扇の絵の、滝の上を這《ほ》うてその流《ながれ》も動く風情。
 お雪は瞻《みまも》って、吻《ほっ》と息を吐《つ》いて、また腰を懸けて、黙って見ていた、目を上げて、そと男の顔を透かしながら、腰を捻《ね》じて、斜《ななめ》に身を寄せて、件《くだん》の団扇を、触らぬように、男の胸の辺りへ出して、
「可愛いでしょう、」といった声も尋常《ただ》ならず。
「何か、石滝の蛍か、そうか。」といって若山は何ともなしに微笑《ほほえ》んだが、顔は園生の方を向いて、あらぬ処を見た。涼しい目はぱッちりと開いていたので、蛍は動いた。団扇は揺れて、お雪の細い手は震えたのである。

       二十一

「歩きますわ、御覧なさいな。」と沈んだ声でいいながら、お雪は打動かす団扇の蔭から、儚《はか》ない一点の青い灯《ともし》で、しばしば男の顔を透かして差覗《さしのぞ》く。
 男はこの時もう黙ってしまい、顔を背けて避《よ》けようとするのを、また、
「御覧なさいな、」と、人知れずお雪は涙含《なみだぐ》んで、見る見る、男の顔の色は動いた。はッと思うと、
「止せ!」
 若山は掌《てのひら》をもてはたと払ったが、端《はし》なく団扇を打って、柄は力のない手を抜けて、庭に落ちた。
「あれ、」といってお雪は顔を見ながら、と胸を衝《つ》いて背後《うしろ》に退《すさ》る。
 渠《かれ》は膝を立直して、
「見えやあしない。」
「ええ!」


「僕の目が潰《つぶ》れたんだ。」
 言いさま整然《ちゃん》として坐り直る、怒気満面に溢《あふ》れて男性の意気|熾《さかん》に、また仰ぎ見ることが出来なかったのであろう、お雪は袖で顔を蔽《おお》うて俯伏《うつぶし》になった。
「どうしたならどうしたと聞くさ、容体はどうです目が見えないか、と打出して言えば可《い》い。何だって、人を試みるようなことをして困らせるんだい、見えない目前《めさき》へ蛍なんか突出して、綺麗だ、動く、見ろ、とは何だ。残酷だな、無慈悲じゃあないか、星が飛んだの、蛍が歩くの
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