右を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》して、叱りもしない、滝太郎の涼しやかな目は極めて優しく、口許《くちもと》にも愛嬌《あいきょう》があって、柔和な、大人しやかな、気高い、可懐《なつか》しいものであったから、南無三《なむさん》仕損じたか、逃後《にげおく》れて間拍子を失った悪戯者《いたずらもの》。此奴《こいつ》羽搏《はばたき》をしない雁だ、と高を括《くく》って図々しや。
「ええ、そっちを引張んねえ。」
「下へ、下へ、」
「弛《ゆる》めて、潜《くぐ》らせやい。」
「巻付けろ。」
遊軍に控えたのまで手を添えて、搦《から》め倒そうとする糸が乱れて、網の目のように、裾、袂、帯へ来て、懸っては脱《はず》れ、また纏《まと》うのを、身動きもしないで、彳《たたず》んで、目も放さず、面白そうに見ていたが、やや有って、狙《ねらい》を着けたのか、ここぞと呼吸を合わせた気勢《けはい》、ぐいと引く、糸が張った。
滝太郎は早速に押当てていた唇を指から放すと、薄月《うすづき》にきらりとしたのは、前《さき》に勇美子に望まれて、断乎として辞し去った指環である。と見ると糸はぷつりと切れて、足も、膝も遮るものなく、滝太郎の身は前へ出て、見返りもしないで衝《つ》と通った。
そのまま総曲輪へ出ようとする時、背後《うしろ》ではわッといって、我がちに遁《に》げ出す跫音《あしおと》。
蜘蛛の子は、糸を切られて、驚いて散々《ちりぢり》なり。
「貰ったよ。」
滝太郎は左右を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》し、今度は憚《はばか》らず、袂から出して、掌《たなそこ》に据えたのは、薔薇《ばら》の薫《かおり》の蝦茶《えびちゃ》のリボン、勇美子が下髪《さげがみ》を留めていたその飾である。
十
土地の口碑《こうひ》、伝うる処に因れば、総曲輪のかの榎《えのき》は、稗史《はいし》が語る、佐々成政《さっさなりまさ》がその愛妾《あいしょう》、早百合を枝に懸けて惨殺した、三百年の老樹《おいき》の由。
髪を掴《つか》んで釣《つる》し下げた女の顔の形をした、ぶらり[#「ぶらり」に傍点]火というのが、今も小雨の降る夜が更けると、樹の股《また》に懸《かか》るというから、縁起を祝う夜商人《よあきんど》は忌み憚《はばか》って、ここへ露店を出しても、榎の下は四方を丸く明けて避ける習慣《な
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