子を無造作に頂いて、絹の手巾《ハンケチ》の雪のような白いのを、泥に染めて、何か包んだものを提げている。
成程これならば、この食客的紳士が、因ってもって身の金箔《きんぱく》とする処の知事の君をも呼棄てにしかねはせぬ。一国の門閥《もんばつ》、先代があまねく徳を布《し》いた上に、経済の道|宜《よろ》しきを得たので、今も内福の聞えの高い、子爵|千破矢《ちはや》家の当主、すなわち若君|滝太郎《たきたろう》である。
「お宅でございます、」と島野紳士は渋々ながら恭《うやうや》しい。
「学校は休《やすみ》かしら。」
「いえ、土曜日《はんどん》なんで、」
「そうか、」と謂《い》い棄てて少年はずッと入った。
「ちょッ。」
その後を見送って、島野はつくづく舌打をした。この紳士の不平たるや、単に呼棄てにされて、その威厳の幾分を殺《そ》がれたばかりではない。誰《たれ》も誰も一見して直ちに館《やかた》の飼犬だということを知って、これを従えた者は、知事の君と別懇の者であるということを示す、活《い》きた手形のようなジャムの奴《やつ》が、連れて出た己《おのれ》を棄てて、滝太郎の後から尾を振りながら、ちょろちょろと入ったのであった。
「恐れるな。小天狗《こてんぐ》め、」とさも悔しげに口の内に呟《つぶや》いて、洋杖《ステッキ》をちょいとついて、小刻《こきざみ》に二ツ三ツ地《つち》の上をつついたが、懶《ものう》げに帽の前を俯向《うつむ》けて、射る日を遮《さえぎ》り、淋《さみ》しそうに、一人で歩き出した。
「ジャム、」
真先《まっさき》に駈《か》けて入った猟犬をまず見着けたのは、当|館《やかた》の姫様《ひいさま》で勇美《ゆみ》子という。襟は藤色で、白地にお納戸で薩摩縞《さつまじま》の単衣《ひとえ》、目のぱッちりと大きい、色のくッきりした、油気の無い、さらさらした癖の無い髪を背《せな》へ下げて、蝦茶《えびちゃ》のリボン飾《かざり》、簪《かざし》は挿さず、花畠《はなばたけ》の日向《ひなた》に出ている。
二
この花畠は――門を入ると一面の芝生、植込のない押開《おっぴら》いた突当《つきあたり》が玄関、その左の方が西洋|造《づくり》で、右の方が廻《まわり》廊下で、そこが前栽になっている。一体昔の大名の別邸を取払った幾分の造作が残ったのに、件《くだん》の洋風の室数《まかず》を建て増したもので、
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