は屹《きっ》となって、たちまち顔色を変えたのである。
理学士はこの時少年のいうことを聞こうとして、思わず堅唾《かたず》を飲んだ。
夢中の美少年に憤った色が見え、
「おいら、島野とは違うぜ。今までな、おい、欲《ほし》い思ったものは取らねえこたあねえ、しようと思ったことをしねえこたあなかったんだ。可いじゃあないか、不可《いけ》ねえッて? 不可ねえか。うむそうか、可いや、へん、おいら詰《つま》らねえことをしたぜ。」
と投げるようにいって、大空を恍惚《うっと》りと瞶《みつ》めた風情。取留めのない夢の想《おもい》で、拓はこの時少年がお雪に向ってなす処は、一つ一《びと》つ皆思うことあって、したかのごとく感じられて、快活かくのごとき者が、恋には恐るべき神秘を守って、今までに秋毫《しゅうごう》も、さる気色のなかったほど、一層大いなる力あることを感じて、愕然《がくぜん》とした。同時に今までは、お雪を救うために造られた、巌《いわお》に倚《よ》る一個白面、朱唇、年少、美貌《びぼう》の神将であるごとく見えたのが、たちまち清く麗しき娘を迷わすために姿を変じた、妄執の蛇であると心着いたが、手も足も動かず、叫ばんとする声も己《おの》が耳には入《い》らなかった。
鷲がその三回目の襲撃を試みない瞬間、白い花も動かず、二人は熟《じっ》として石に化したもののように見えた。やがて少年は袂を探って、一本《ひともと》の花を取出した。学識ある理学士が夢中の目は、直ちにそれを黒百合の花と認めたのである。
これがためにこそ餓えたり、傷付いたれ、物怪《もののけ》ある山に迷うたれ。荒鷲には襲わるる、少年の身に添えて守っていたと覚ゆるのを、掴《つか》むがごとく引出《ひきいだ》して、やにわに手を懸けて※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》り棄てようとした趣であった。けれども、お雪が物いいたげに瞳を動かして、衝《つ》と胸を抱いて立ったのを、卑《いやし》むがごとく、嘲《あざ》けるがごとく、憎むがごとく、はた憐《あわれ》むがごとくに熟《じっ》と見て、舌打して、そのまま黒百合をお雪の手に与えると斉《ひと》しく、巌を放れてすっくと立って、
「不可《いけ》ねえや、お前《めえ》良人《ていし》があるんなら、おいら一所に死ぬのは厭だぜ。じゃあ、おい勝手にしねえ。」
といい棄てて、身を飜すとたちまち歩き去った。
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