み》、些《ち》と煤《すす》びたが、人形だちの古風な顔。満更《まんざら》の容色《きりょう》ではないが、紺の筒袖《つつそで》の上被衣《うわっぱり》を、浅葱《あさぎ》の紐で胸高《むなだか》にちょっと留《と》めた甲斐甲斐《かいがい》しい女房ぶり。些《ち》と気になるのは、この家《うち》あたりの暮向《くらしむ》きでは、これがつい通りの風俗で、誰《たれ》も怪《あや》しみはしないけれども、畳の上を尻端折《しりばしょり》、前垂《まえだれ》で膝を隠したばかりで、湯具《ゆのぐ》をそのままの足を、茶の間と店の敷居で留《と》めて、立ち身のなりで口早《くちばや》なものの言いよう。
「何処《どこ》からおいで遊ばしたえ、何んの御用で。」
 と一向《いっこう》気のない、空《くう》で覚えたような口上《こうじょう》。言《ことば》つきは慇懃《いんぎん》ながら、取附《とりつ》き端《は》のない会釈をする。
「私だ、立田《たつた》だよ、しばらく。」
 もう忘れたか、覚えがあろう、と顔を向ける、と黒目がちでも勢《せい》のない、塗ったような瞳を流して、凝《じっ》と見たが、
「あれ。」と言いさま、ぐったりと膝を支《つ》いた。胸を衝《つ》と反らしながら、驚いた風をして、
「どうして貴下《あなた》。」
 とひょいと立つと、端折《はしょ》った太脛《ふくらはぎ》の包《つつ》ましい見得《みえ》ものう、ト身を返して、背後《うしろ》を見せて、つかつかと摺足《すりあし》して、奥の方《かた》へ駈込みながら、
「もしえ! もしえ! ちょっと……立田様の織《おり》さんが。」
「何、立田さんの。」
「織さんですがね。」
「や、それは。」
 という平吉の声が台所で。がたがた、土間を踏む下駄《げた》の音。

       五

「さあ、お上《あが》り遊ばして、まあ、どうして貴下《あなた》。」
 とまた店口《みせぐち》へ取って返して、女房は立迎《たちむか》える。
「じゃ、御免なさい。」
「どうぞこちらへ。」と、大きな声を出して、満面の笑顔を見せた平吉は、茶の室《ま》を越した見通しの奥へ、台所から駈込んで、幅の広い前垂《まえだれ》で、濡《ぬ》れた手をぐいと拭《ふ》きつつ、
「ずっと、ずっとずっとこちらへ。」ともう真中へ座蒲団《ざぶとん》を持出して、床の間の方へ直しながら、一ツくるりと立身《たちみ》で廻る。
「構っちゃ可厭《いや》だよ。」と衝《つ》と茶の間を抜ける時、襖《ふすま》二|間《けん》の上を渡って、二階の階子段《はしごだん》が緩《ゆる》く架《かか》る、拭込《ふきこ》んだ大戸棚《おおとだな》の前で、入《いれ》ちがいになって、女房は店の方へ、ばたばたと後退《あとずさ》りに退《すさ》った。
 その茶の室《ま》の長火鉢を挟《はさ》んで、差《さし》むかいに年寄りが二人いた。ああ、まだ達者だと見える。火鉢の向うに踞《つくば》って、その法然天窓《ほうねんあたま》が、火の気の少い灰の上に冷たそうで、鉄瓶《てつびん》より低い処《ところ》にしなびたのは、もう七十の上《うえ》になろう。この女房の母親《おふくろ》で、年紀《とし》の相違が五十の上《うえ》、余り間があり過ぎるようだけれども、これは女房が大勢の娘の中に一番|末子《すえっこ》である所為《せい》で、それ、黒のけんちゅうの羽織《はおり》を着て、小さな髷《まげ》に鼈甲《べっこう》の耳こじりをちょこんと極《き》めて、手首に輪数珠《わじゅず》を掛けた五十格好の婆《ばばあ》が背後向《うしろむき》に坐ったのが、その総領《そうりょう》の娘である。
 不沙汰《ぶさた》見舞に来ていたろう。この婆《ばばあ》は、よそへ嫁附《かたづ》いて今は産んだ忰《せがれ》にかかっているはず。忰というのも、煙管《きせる》、簪《かんざし》、同じ事を業《ぎょう》とする。
 が、この婆娘《ばばあむすめ》は虫が好かぬ。何為《なぜ》か、その上、幼い記憶に怨恨《うらみ》があるような心持《こころもち》が、一目見ると直ぐにむらむらと起ったから――この時黄色い、でっぷりした眉《まゆ》のない顔を上げて、じろりと額《ひたい》で見上げたのを、織次は屹《きっ》と唯一目《ただひとめ》。で、知らぬ顔して奥へ通った。
「南無阿弥陀仏《なあまいだぶ》。」
 と折から唸《うな》るように老人《としより》が唱《とな》えると、婆娘《ばばあむすめ》は押冠《おっかぶ》せて、
「南無阿弥陀仏《なあまいだんぶ》。」と生若《なまわか》い声を出す。
「さて、どうも、お珍しいとも、何んとも早や。」と、平吉は坐りも遣《や》らず、中腰でそわそわ。
「お忙しいかね。」と織次は構わず、更紗《さらさ》の座蒲団を引寄せた。
「ははは、勝手に道楽で忙しいんでしてな、つい暇《ひま》でもございまするしね、怠《なま》け仕事に板前《いたまえ》で庖丁《ほうちょう》の腕前を見せていた所で
前へ 次へ
全12ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング