《やぞう》、片手をぬい、と出し、人の顋《あご》をしゃくうような手つきで、銭を強請《ねだ》る、爪の黒い掌《てのひら》へ持っていただけの小遣《こづかい》を載せると、目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ったが、黄色い歯でニヤリとして、身体《からだ》を撫《な》でようとしたので、衝《つ》と極《きまり》が悪く退《すさ》った頸《うなじ》へ、大粒な雨がポツリと来た。
 忽《たちま》ち大驟雨《おおゆうだち》となったので、蒼くなって駈出《かけだ》して帰ったが、家《うち》までは七、八町、その、びしょ濡れさ加減《かげん》思うべしで。
 あと二夜《ふたよ》ばかりは、空模様を見て親たちが出さなかった。
 さて晴れれば晴れるものかな。磨出《みがきだ》した良《い》い月夜に、駒《こま》の手綱を切放《きりはな》されたように飛出《とびだ》して行った時は、もうデロレンの高座は、消えたか、と跡もなく、後幕《うしろまく》一重《ひとえ》引いた、あたりの土塀の破目《われめ》へ、白々《しろじろ》と月が射した。
 茫《ぼっ》となって、辻に立って、前夜の雨を怨《うら》めしく、空を仰《あお》ぐ、と皎々《こうこう》として澄渡《すみわた》って、銀河一帯、近い山の端《は》から玉《たま》の橋を町家《まちや》の屋根へ投げ懸ける。その上へ、真白《まっしろ》な形で、瑠璃《るり》色の透《す》くのに薄い黄金《きん》の輪郭した、さげ結びの帯の見える、うしろ向きで、雲のような女の姿が、すっと立って、するすると月の前を歩行《ある》いて消えた。……織次は、かつ思いかつ歩行《ある》いて、丁《ちょう》どその辻へ来た。

       四

 湯屋《ゆや》は郵便局の方へ背後《うしろ》になった。
 辻の、この辺《あたり》で、月の中空《なかぞら》に雲を渡る婦《おんな》の幻《まぼろし》を見たと思う、屋根の上から、城の大手《おおて》の森をかけて、一面にどんよりと曇った中に、一筋《ひとすじ》真白《まっしろ》な雲の靡《なび》くのは、やがて銀河になる時節も近い。……視《なが》むれば、幼い時のその光景《ありさま》を目前《まのあたり》に見るようでもあるし、また夢らしくもあれば、前世が兎《うさぎ》であった時、木賊《とくさ》の中から、ひょいと覗《のぞ》いた景色かも分らぬ。待て、希《こいねがわ》くは兎でありたい。二股坂《ふたまたざか》の狸《たぬき》は恐れる。
前へ 次へ
全24ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング