(山したの方には大分|流行病《はやりやまい》がございますが、この水は何《なに》から、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気《なにげ》なく答えた、まず嬉《うれ》しやと思うと、お聞きなさいよ。
 ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。このまた万金丹《まんきんたん》の下廻《したまわり》と来た日には、ご存じの通り、千筋《せんすじ》の単衣《ひとえ》に小倉《こくら》の帯、当節は時計を挟《はさ》んでいます、脚絆《きゃはん》、股引《ももひき》、これはもちろん、草鞋《わらじ》がけ、千草木綿《ちぐさもめん》の風呂敷包《ふろしきづつみ》の角《かど》ばったのを首に結《ゆわ》えて、桐油合羽《とうゆがっぱ》を小さく畳《たた》んでこいつを真田紐《さなだひも》で右の包につけるか、小弁慶《こべんけい》の木綿の蝙蝠傘《こうもりがさ》を一本、おきまりだね。ちょいと見ると、いやどれもこれも克明《こくめい》で分別のありそうな顔をして。
 これが泊《とまり》に着くと、大形の浴衣《ゆかた》に変って、帯広解《おびひろげ》で焼酎《しょうちゅう》をちびりちびり遣《や》りながら、旅籠屋《はたごや》の女のふとった膝《ひざ》へ脛《すね》を上げようという輩《やから》じゃ。
(これや、法界坊《ほうかいぼう》。)
 なんて、天窓《あたま》から嘗《な》めていら。
(異《おつ》なことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえと相場がきまって、すっぺら坊主になってやっぱり生命《いのち》は欲しいのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さん見ねえ、あれでまだ未練のある内がいいじゃあねえか、)といって顔を見合せて二人でからからと笑った。
 年紀《とし》は若し、お前様《まえさん》、私《わし》は真赤《まっか》になった、手に汲んだ川の水を飲みかねて猶予《ためら》っているとね。
 ポンと煙管《きせる》を払《はた》いて、
(何、遠慮《えんりょ》をしねえで浴びるほどやんなせえ、生命《いのち》が危くなりゃ、薬を遣《や》らあ、そのために私《わし》がついてるんだぜ、なあ姉さん。おい、それだっても無銭《ただ》じゃあいけねえよ、憚《はばか》りながら神方《しんぽう》万金丹、一|貼《じょう》三百だ、欲しくば買いな、まだ坊主に報捨《ほうしゃ》をするような罪は造らねえ、それともどうだお前いうことを肯《き》くか。)といって茶店の女の背中を叩《たた》いた。
 私《わし》はそうそうに遁出《にげだ》した。
 いや、膝だの、女の背中だのといって、いけ年《とし》を仕《つかまつ》った和尚が業体《ぎょうてい》で恐入《おそれい》るが、話が、話じゃからそこはよろしく。」

     四
 
「私《わし》も腹立紛《はらたちまぎ》れじゃ、無暗《むやみ》と急いで、それからどんどん山の裾《すそ》を田圃道《たんぼみち》へかかる。
 半町ばかり行くと、路《みち》がこう急に高くなって、上《のぼ》りが一カ処、横からよく見えた、弓形《ゆみなり》でまるで土で勅使橋《ちょくしばし》がかかってるような。上を見ながら、これへ足を踏懸《ふみか》けた時、以前の薬売《くすりうり》がすたすたやって来て追着《おいつ》いたが。
 別に言葉も交《かわ》さず、またものをいったからというて、返事をする気はこっちにもない。どこまでも人を凌《しの》いだ仕打《しうち》な薬売は流眄《しりめ》にかけて故《わざ》とらしゅう私《わし》を通越《とおりこ》して、すたすた前へ出て、ぬっと小山のような路の突先《とっさき》へ蝙蝠傘を差して立ったが、そのまま向うへ下りて見えなくなる。
 その後から爪先上《つまさきあが》り、やがてまた太鼓《たいこ》の胴《どう》のような路の上へ体が乗った、それなりにまた下《くだ》りじゃ。
 売薬は先へ下りたが立停《たちどま》ってしきりに四辺《あたり》を※[#「目」+「句」 101−3]《みまわ》している様子、執念《しゅうねん》深く何か巧《たく》んだかと、快からず続いたが、さてよく見ると仔細《しさい》があるわい。
 路はここで二条《ふたすじ》になって、一条《いちじょう》はこれからすぐに坂になって上《のぼ》りも急なり、草も両方から生茂《おいしげ》ったのが、路傍《みちばた》のその角《かど》の処にある、それこそ四抱《よかかえ》、そうさな、五抱《いつかかえ》もあろうという一本の檜《ひのき》の、背後《うしろ》へ蜿《うね》って切出したような大巌《おおいわ》が二ツ三ツ四ツと並んで、上の方へ層《かさ》なってその背後へ通じているが、私《わし》が見当をつけて、心組《こころぐ》んだのはこっちではないので、やっぱり今まで歩いて来たその幅《はば》の広いなだらかな方が正《まさ》しく本道、あと二里足らず行けば山になって、それからが峠になるはず。
 と見ると、どうしたことかさ、今いうその檜じゃが、そこらに何《なんに》もない路を横断《よこぎ》って見果《みはて》のつかぬ田圃の中空《なかぞら》へ虹《にじ》のように突出ている、見事な。根方《ねがた》の処《ところ》の土が壊《くず》れて大鰻《おおうなぎ》を捏《こ》ねたような根が幾筋ともなく露《あらわ》れた、その根から一筋の水がさっと落ちて、地の上へ流れるのが、取って進もうとする道の真中に流出《ながれだ》してあたりは一面。
 田圃が湖にならぬが不思議で、どうどうと瀬《せ》になって、前途《ゆくて》に一叢《ひとむら》の藪《やぶ》が見える、それを境にしておよそ二町ばかりの間まるで川じゃ。礫《こいし》はばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨《おおまた》で伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたに違《ちが》いはない。
 もっとも衣服《きもの》を脱いで渡るほどの大事なのではないが、本街道にはちと難儀《なんぎ》過ぎて、なかなか馬などが歩行《ある》かれる訳《わけ》のものではないので。
 売薬もこれで迷ったのであろうと思う内、切放《きりはな》れよく向《むき》を変えて右の坂をすたすたと上りはじめた。見る間《ま》に檜を後《うしろ》に潜《くぐ》り抜けると、私《わし》が体の上あたりへ出て下を向き、
(おいおい、松本《まつもと》へ出る路はこっちだよ、)といって無造作《むぞうさ》にまた五六歩。
 岩の頭へ半身を乗出して、
(茫然《ぼんやり》してると、木精《こだま》が攫《さら》うぜ、昼間だって容赦《ようしゃ》はねえよ。)と嘲《あざけ》るがごとく言い棄《す》てたが、やがて岩の陰《かげ》に入って高い処の草に隠《かく》れた。
 しばらくすると見上げるほどな辺《あたり》へ蝙蝠傘の先が出たが、木の枝《えだ》とすれすれになって茂《しげみ》の中に見えなくなった。
(どッこいしょ、)と暢気《のんき》なかけ声で、その流の石の上を飛々《とびとび》に伝って来たのは、茣蓙《ござ》の尻当《しりあて》をした、何にもつけない天秤棒《てんびんぼう》を片手で担いだ百姓《ひゃくしょう》じゃ。」

     五

「さっきの茶店《ちゃみせ》からここへ来るまで、売薬の外は誰《だれ》にも逢《あ》わなんだことは申上げるまでもない。
 今別れ際《ぎわ》に声を懸けられたので、先方《むこう》は道中の商売人と見ただけに、まさかと思っても気迷《きまよい》がするので、今朝《けさ》も立ちぎわによく見て来た、前にも申す、その図面をな、ここでも開けて見ようとしていたところ。
(ちょいと伺《うかが》いとう存じますが、)
(これは何でござりまする、)と山国の人などは殊《こと》に出家と見ると丁寧《ていねい》にいってくれる。
(いえ、お伺い申しますまでもございませんが、道はやっぱりこれを素直《まっすぐ》に参るのでございましょうな。)
(松本へ行かっしゃる? ああああ本道じゃ、何ね、この間の梅雨《つゆ》に水が出て、とてつもない川さ出来たでがすよ。)
(まだずっとどこまでもこの水でございましょうか。)
(何のお前様、見たばかりじゃ、訳はござりませぬ、水になったのは向うのあの藪までで、後はやっぱりこれと同一《おなじ》道筋で山までは荷車が並んで通るでがす。藪のあるのは旧《もと》大きいお邸《やしき》の医者様の跡でな、ここいらはこれでも一ツの村でがした、十三年前の大水の時、から一面に野良《のら》になりましたよ、人死《ひとじに》もいけえこと。ご坊様歩行《ぼうさまある》きながらお念仏でも唱えてやってくれさっしゃい。)と問わぬことまで深切《しんせつ》に話します。それでよく仔細《しさい》が解《わか》って確《たしか》になりはなったけれども、現に一人|踏迷《ふみまよ》った者がある。
(こちらの道はこりゃどこへ行くので、)といって売薬の入った左手《ゆんで》の坂を尋《たず》ねて見た。
(はい、これは五十年ばかり前までは人が歩行《ある》いた旧道でがす。やっぱり信州へ出まする、先は一つで七里ばかり総体近うござりますが、いや今時《いまどき》往来の出来るのじゃあござりませぬ。去年もご坊様、親子|連《づれ》の巡礼《じゅんれい》が間違えて入ったというで、はれ大変な、乞食《こじき》を見たような者じゃというて、人命に代りはねえ、追《おっ》かけて助けべえと、巡査様《おまわりさま》が三人、村の者が十二人、一組になってこれから押登って、やっと連れて戻《もど》ったくらいでがす。ご坊様も血気に逸《はや》って近道をしてはなりましねえぞ、草臥《くたび》れて野宿をしてからがここを行かっしゃるよりはましでござるに。はい、気を付けて行かっしゃれ。)
 ここで百姓に別れてその川の石の上を行こうとしたがふと猶予《ためら》ったのは売薬の身の上で。
 まさかに聞いたほどでもあるまいが、それが本当ならば見殺《みごろし》じゃ、どの道私は出家《しゅっけ》の体、日が暮《く》れるまでに宿へ着いて屋根の下に寝るには及《およ》ばぬ、追着《おッつ》いて引戻してやろう。罷違《まかりちご》うて旧道を皆|歩行《ある》いても怪《け》しゅうはあるまい、こういう時候じゃ、狼《おおかみ》の旬《しゅん》でもなく、魑魅魍魎《ちみもうりょう》の汐《しお》さきでもない、ままよ、と思うて、見送ると早《は》や深切な百姓の姿も見えぬ。
(よし。)
 思切《おもいき》って坂道を取って懸《かか》った、侠気《おとこぎ》があったのではござらぬ、血気に逸《はや》ったではもとよりない、今申したようではずっともう悟《さと》ったようじゃが、いやなかなかの臆病者《おくびょうもの》、川の水を飲むのさえ気が怯《ひ》けたほど生命《いのち》が大事で、なぜまたと謂《い》わっしゃるか。
 ただ挨拶《あいさつ》をしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄《うっちゃ》っておいたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、故《わざ》とするようで、気が責めてならなんだから、」
 と宗朝はやはり俯向《うつむ》けに床《とこ》に入ったまま合掌《がっしょう》していった。
「それでは口でいう念仏にも済まぬと思うてさ。」

     六

「さて、聞かっしゃい、私《わし》はそれから檜《ひのき》の裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、樹《き》の中を潜《くぐ》って草深い径《こみち》をどこまでも、どこまでも。
 するといつの間にか今上った山は過ぎてまた一ツ山が近《ちかづ》いて来た、この辺《あたり》しばらくの間は野が広々として、さっき通った本街道よりもっと幅の広い、なだらかな一筋道。
 心持《こころもち》西と、東と、真中《まんなか》に山を一ツ置いて二条《ふたすじ》並んだ路のような、いかさまこれならば槍《やり》を立てても行列が通ったであろう。
 この広《ひろ》ッ場《ぱ》でも目の及ぶ限り芥子粒《けしつぶ》ほどの大《おおき》さの売薬の姿も見ないで、時々焼けるような空を小さな虫が飛び歩行《ある》いた。
 歩行《ある》くにはこの方が心細い、あたりがぱッとしていると便《たより》がないよ。もちろん飛騨越《ひだごえ》と銘《めい》を打った日には、七里に一軒十里に五軒という相場、そこで粟《あわ》の飯にありつけば都合も上《じょう》の方ということになっております。それを覚
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング