が見らるる通り、またあの白痴《ばか》につきそって行届《ゆきとど》いた世話も見らるる通り、洪水の時から十三年、いまになるまで一日もかわりはない。
といい果てて親仁《おやじ》はまた気味の悪い北叟笑《ほくそえみ》。
(こう身の上を話したら、嬢様を不便《ふびん》がって、薪《まき》を折ったり水を汲《く》む手助けでもしてやりたいと、情が懸《かか》ろう。本来の好心《すきごころ》、いい加減な慈悲《じひ》じゃとか、情じゃとかいう名につけて、いっそ山へ帰りたかんべい、はて措《お》かっしゃい。あの白痴殿《ばかどの》の女房になって世の中へは目もやらぬ換《かわり》にゃあ、嬢様は如意《にょい》自在、男はより取って、飽《あ》けば、息をかけて獣《けもの》にするわ、殊にその洪水以来、山を穿《うが》ったこの流は天道様《てんとうさま》がお授けの、男を誘《いざな》う怪《あや》しの水、生命《いのち》を取られぬものはないのじゃ。
天狗道《てんぐどう》にも三熱の苦悩《くのう》、髪が乱れ、色が蒼ざめ、胸が痩《や》せて手足が細れば、谷川を浴びると旧《もと》の通り、それこそ水が垂るばかり、招けば活《い》きた魚《うお》も来る、睨《にら》めば美しい木《こ》の実《み》も落つる、袖《そで》を翳《かざ》せば雨も降るなり、眉《まゆ》を開けば風も吹くぞよ。
しかもうまれつきの色好み、殊にまた若いのが好《すき》じゃで、何かご坊にいうたであろうが、それを実《まこと》としたところで、やがて飽《あ》かれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。
いややがて、この鯉を料理して、大胡坐《おおあぐら》で飲む時の魔神の姿が見せたいな。
妄念《もうねん》は起さずに早うここを退《の》かっしゃい、助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情じゃわ、生命冥加《いのちみょうが》な、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。)とまた一ツ背中を叩《たた》いた、親仁《おやじ》は鯉を提《さ》げたまま見向きもしないで、山路《やまじ》を上《かみ》の方。
見送ると小さくなって、一座の大山《おおやま》の背後《うしろ》へかくれたと思うと、油旱《あぶらひでり》の焼けるような空に、その山の巓《いただき》から、すくすくと雲が出た、滝の音も静まるばかり殷々《いんいん》として雷《らい》の響《ひびき》。
藻抜《もぬ》けのように立っていた、私《わし》が
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