袖を前歯で引上げ、玉のような二の腕をあからさまに背中に乗せたが、じっと見て、
(まあ、)
(どうかいたしておりますか。)
(痣《あざ》のようになって、一面に。)
(ええ、それでございます、酷《ひど》い目に逢《あ》いました。)
 思い出してもぞッとするて。」

     十五

「婦人《おんな》は驚いた顔をして、
(それでは森の中で、大変でございますこと。旅をする人が、飛騨《ひだ》の山では蛭が降るというのはあすこでござんす。貴僧《あなた》は抜道をご存じないから正面《まとも》に蛭の巣をお通りなさいましたのでございますよ。お生命《いのち》も冥加《みょうが》なくらい、馬でも牛でも吸い殺すのでございますもの。しかし疼《うず》くようにお痒《かゆ》いのでござんしょうね。)
(ただいまではもう痛みますばかりになりました。)
(それではこんなものでこすりましては柔《やわら》かいお肌が擦剥《すりむ》けましょう。)というと手が綿のように障《さわ》った。
 それから両方の肩から、背、横腹、臀《いしき》、さらさら水をかけてはさすってくれる。
 それがさ、骨に通って冷たいかというとそうではなかった。暑い時分じゃが、理窟《りくつ》をいうとこうではあるまい、私《わし》の血が沸《わ》いたせいか、婦人《おんな》の温気《ぬくみ》か、手で洗ってくれる水がいい工合《ぐあい》に身に染みる、もっとも質《たち》の佳《い》い水は柔かじゃそうな。
 その心地《ここち》の得《え》もいわれなさで、眠気《ねむけ》がさしたでもあるまいが、うとうとする様子で、疵《きず》の痛みがなくなって気が遠くなって、ひたと附《くっ》ついている婦人《おんな》の身体で、私《わし》は花びらの中へ包まれたような工合。
 山家《やまが》の者には肖合《にあ》わぬ、都にも希《まれ》な器量はいうに及《およ》ばぬが弱々しそうな風采《ふう》じゃ、背中を流す中《うち》にもはッはッと内証《ないしょ》で呼吸《いき》がはずむから、もう断ろう断ろうと思いながら、例の恍惚《うっとり》で、気はつきながら洗わした。
 その上、山の気か、女の香《におい》か、ほんのりと佳い薫《かおり》がする、私《わし》は背後《うしろ》でつく息じゃろうと思った。」
 上人《しょうにん》はちょっと句切って、
「いや、お前様お手近じゃ、その明《あかり》を掻《か》き立ってもらいたい、暗いと怪《け》しから
前へ 次へ
全51ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング