わ。
これで蛭に悩まされて痛いのか、痒《かゆ》いのか、それとも擽《くすぐ》ったいのか得《え》もいわれぬ苦しみさえなかったら、嬉《うれ》しさに独《ひと》り飛騨山越《ひだやまごえ》の間道《かんどう》で、お経《きょう》に節《ふし》をつけて外道踊《げどうおどり》をやったであろう、ちょっと清心丹《せいしんたん》でも噛砕《かみくだ》いて疵口《きずぐち》へつけたらどうだと、だいぶ世の中の事に気がついて来たわ。抓《つね》っても確《たしか》に活返《いきかえ》ったのじゃが、それにしても富山の薬売はどうしたろう、あの様子《ようす》ではとうに血になって泥沼に。皮ばかりの死骸は森の中の暗い処、おまけに意地の汚《きたな》い下司《げす》な動物が骨までしゃぶろうと何百という数でのしかかっていた日には、酢《す》をぶちまけても分る気遣《きづかい》はあるまい。
こう思っている間、件《くだん》のだらだら坂は大分長かった。
それを下《くだ》り切ると流が聞えて、とんだ処に長さ一間ばかりの土橋がかかっている。
はやその谷川の音を聞くと我身で持余《もてあま》す蛭の吸殻《すいがら》を真逆《まっさかさま》に投込んで、水に浸《ひた》したらさぞいい心地《ここち》であろうと思うくらい、何の渡りかけて壊《こわ》れたらそれなりけり。
危いとも思わずにずっと懸《かか》る、少しぐらぐらしたが難なく越した。向うからまた坂じゃ、今度は上《のぼ》りさ、ご苦労千万。」
十
「とてもこの疲《つか》れようでは、坂を上るわけには行くまいと思ったが、ふと前途《ゆくて》に、ヒイインと馬の嘶《いなな》くのが谺《こだま》して聞えた。
馬士《まご》が戻《もど》るのか小荷駄《こにだ》が通るか、今朝一人の百姓に別れてから時の経ったは僅《わずか》じゃが、三年も五年も同一《おんなじ》ものをいう人間とは中を隔《へだ》てた。馬が居るようではともかくも人里に縁があると、これがために気が勇んで、ええやっと今|一揉《ひともみ》。
一軒の山家《やまが》の前へ来たのには、さまで難儀《なんぎ》は感じなかった。夏のことで戸障子のしまりもせず、殊《こと》に一軒家、あけ開いたなり門というてもない、突然《いきなり》破縁《やれえん》になって男が一人、私《わし》はもう何の見境もなく、
(頼《たの》みます、頼みます、)というさえ助《たすけ》を呼ぶような調子で、取縋
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