殺《みごろし》じゃ、どの道私は出家《しゅっけ》の体、日が暮《く》れるまでに宿へ着いて屋根の下に寝るには及《およ》ばぬ、追着《おッつ》いて引戻してやろう。罷違《まかりちご》うて旧道を皆|歩行《ある》いても怪《け》しゅうはあるまい、こういう時候じゃ、狼《おおかみ》の旬《しゅん》でもなく、魑魅魍魎《ちみもうりょう》の汐《しお》さきでもない、ままよ、と思うて、見送ると早《は》や深切な百姓の姿も見えぬ。
(よし。)
 思切《おもいき》って坂道を取って懸《かか》った、侠気《おとこぎ》があったのではござらぬ、血気に逸《はや》ったではもとよりない、今申したようではずっともう悟《さと》ったようじゃが、いやなかなかの臆病者《おくびょうもの》、川の水を飲むのさえ気が怯《ひ》けたほど生命《いのち》が大事で、なぜまたと謂《い》わっしゃるか。
 ただ挨拶《あいさつ》をしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄《うっちゃ》っておいたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、故《わざ》とするようで、気が責めてならなんだから、」
 と宗朝はやはり俯向《うつむ》けに床《とこ》に入ったまま合掌《がっしょう》していった。
「それでは口でいう念仏にも済まぬと思うてさ。」

     六

「さて、聞かっしゃい、私《わし》はそれから檜《ひのき》の裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、樹《き》の中を潜《くぐ》って草深い径《こみち》をどこまでも、どこまでも。
 するといつの間にか今上った山は過ぎてまた一ツ山が近《ちかづ》いて来た、この辺《あたり》しばらくの間は野が広々として、さっき通った本街道よりもっと幅の広い、なだらかな一筋道。
 心持《こころもち》西と、東と、真中《まんなか》に山を一ツ置いて二条《ふたすじ》並んだ路のような、いかさまこれならば槍《やり》を立てても行列が通ったであろう。
 この広《ひろ》ッ場《ぱ》でも目の及ぶ限り芥子粒《けしつぶ》ほどの大《おおき》さの売薬の姿も見ないで、時々焼けるような空を小さな虫が飛び歩行《ある》いた。
 歩行《ある》くにはこの方が心細い、あたりがぱッとしていると便《たより》がないよ。もちろん飛騨越《ひだごえ》と銘《めい》を打った日には、七里に一軒十里に五軒という相場、そこで粟《あわ》の飯にありつけば都合も上《じょう》の方ということになっております。それを覚
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