庵《たくわん》の切《きれ》をくわへて隅《すみ》の方《はう》へ引込《ひきこ》むいぢらしさ。
 弥《いよい》よ明日《あす》が手術《しゆじゆつ》といふ夜《よ》は、皆《みんな》寝静《ねしづ》まつてから、しく/\蚊《か》のやうに泣《な》いて居《ゐ》るのを、手水《てうづ》に起《お》きた娘《むすめ》が見《み》つけてあまりの不便《ふびん》さに抱《だ》いて寝《ね》てやつた。
 さて療治《れうぢ》となると例《れい》の如《ごと》く娘《むすめ》が背後《うしろ》から抱《だ》いて居《ゐ》たから、脂汗《あぶらあせ》を流《なが》しながら切《き》れものが入《はい》るのを、感心《かんしん》にじつと耐《こら》へたのに、何処《どこ》を切違《きりちが》へたか、それから流《なが》れ出《だ》した血《ち》が留《と》まらず、見《み》る/\内《うち》に色《いろ》が変《かは》つて、危《あぶな》くなつた。
 医者《いしや》も蒼《あを》くなつて、騒《さわ》いだが、神《かみ》の扶《たす》けか漸《やうや》う生命《いのち》は取留《とりと》まり、三|日《か》ばかりで血《ち》も留《とま》つたが、到頭《たうとう》腰《こし》が抜《ぬ》けた、固《もと》より不具《かたわ》。
 之《これ》が引摺《ひきず》つて、足《あし》を見《み》ながら情《なさけ》なさうな顔《かほ》をする、蟋蟀《きり/″\す》が※[#「怨」の「心」に代えて「手」、第4水準2−13−4]《も》がれた脚《あし》を口《くち》に啣《くは》へて泣《な》くのを見《み》るやう、目《め》もあてられたものではない。
 しまひには泣出《なきだ》すと、外聞《ぐわいぶん》もあり、少焦《すこぢれ》で、医者《いしや》は可恐《おそろし》い顔《かほ》をして睨《にら》みつけると、あはれがつて抱《だ》きあげる娘《むすめ》の胸《むね》に顔《かほ》をかくして縋《すが》る状《さま》に、年来《ねんらい》随分《ずゐぶん》と人《ひと》を手《て》にかけた医者《いしや》も我《が》を折《を》つて腕組《うでくみ》をして、はツといふ溜息《ためいき》。
 軈《やが》て父親《てゝおや》が迎《むかひ》にござつた、因果《いんぐわ》と諦《あきら》めて、別《べつ》に不足《ふそく》はいはなんだが、何分《なにぶん》小児《こども》が娘《むすめ》の手《て》を放《はな》れようといはぬので、医者《いしや》も幸《さひはひ》、言訳《いひわけ》旁《かた/″\》、
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