《ほか》のを選んだ。
 生命《いのち》に仔細《しさい》はない。
 男だ。容色なんぞは何でもあるまい。
 ただお町の繰り言に聞いても、お藻代の遺書《かきおき》にさえ、黒髪のおくれ毛ばかりも、怨恨《うらみ》は水茎のあとに留めなかったというのに。――
 現代――ある意味において――めぐる因果の小車《おぐるま》などという事は、天井裏の車麩《くるまぶ》を鼠が伝うぐらいなものであろう。
 待て、それとても不気味でない事はない。
 魔は――鬼神は――あると見える。

 附言。
 今年、四月八日、灌仏会《かんぶつえ》に、お向うの遠藤さんと、家内と一所に、麹町《こうじまち》六丁目、擬宝珠《ぎぼうし》屋根に桃の影さす、真宝寺の花御堂《はなみどう》に詣《もう》でた。寺内に閻魔堂《えんまどう》がある。遠藤さんが扉を覗いて、袖で拝んで、
「お釈迦様と、お閻魔さんとは、どういう関係があるんでしょう。」
 唯今、七彩五色の花御堂に香水を奉仕した、この三十歳の、竜女の、深甚微妙なる聴問には弱った。要品《ようほん》を読誦《どくじゅ》する程度の智識では、説教も済度も覚束《おぼつか》ない。
「いずれ、それは……その、如是我聞《にょぜがもん》という処ですがね。と時に、見附を出て、美佐古《みさご》(鮨屋)はいかがです。」
「いや。」
「これは御挨拶。」
 いきな坊主の還俗したのでもないものが、こはだの鮨を売るんだから、ツンとして、愛想のないのに無理はない。
「朝飯《あさ》を済ましたばかりなのよ。」
 午後三時半である。ききたまえ。
「そこを見込んで誘いましたよ。」
「私もそうだろうと思ってさ。」
 大通りを少しあるくと、向うから、羽織の袖で風呂敷づつみを抱いた、脊のすらりとした櫛巻《くしまき》の女が、もの静《しずか》に来かかって、うつむいて、通過ぎた。
「いい女ね。見ましたか。」
「まったく。」
「しっとりとした、いい容子《ようす》ね、目許《めもと》に恐ろしく情のある、口許の優しい、少し寂しい。」
 三人とも振返ると、町並樹の影に、その頸許《えりもと》が白く、肩が窶《やつ》れていた。
 かねて、外套氏から聞いた、お藻代の俤《おもかげ》に直面した気がしたのである。
 路地うちに、子供たちの太鼓の音が賑《にぎ》わしい。入って見ると、裏道の角に、稲荷神《いなりがみ》の祠《ほこら》があって、幟《のぼり》が立っている
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