いさぎよ》き素絹《そけん》を敷《し》きて、山姫《やまひめ》の來《きた》り描《ゑが》くを待《ま》つ處《ところ》――枝《えだ》すきたる柳《やなぎ》の中《なか》より、松《まつ》の蔦《つた》の梢《こずゑ》より、染《そ》め出《いだ》す秀嶽《しうがく》の第一峯《だいいつぽう》。其《そ》の山颪《やまおろし》里《さと》に來《きた》れば、色鳥《いろどり》群《む》れて瀧《たき》を渡《わた》る。うつくしきかな、羽《はね》、翼《つばさ》、霧《きり》を拂《はら》つて錦葉《もみぢ》に似《に》たり。
十一月《じふいちぐわつ》
青碧《せいへき》澄明《ちようめい》の天《てん》、雲端《うんたん》に古城《こじやう》あり、天守《てんしゆ》聳立《そばだ》てり。濠《ほり》の水《みづ》、菱《ひし》黒《くろ》く、石垣《いしがき》に蔦《つた》、紅《くれなゐ》を流《なが》す。木《こ》の葉《は》落《お》ち落《お》ちて森《もり》寂《しづか》に、風《かぜ》留《や》むで肅殺《しゆくさつ》の氣《き》の充《み》つる處《ところ》、枝《えだ》は朱槍《しゆさう》を横《よこた》へ、薄《すゝき》は白劍《はくけん》を伏《ふ》せ、徑《こみち》は漆弓《しつきう》を潛《ひそ》め、霜《しも》は鏃《やじり》を研《と》ぐ。峻峰《しゆんぽう》皆《みな》將軍《しやうぐん》、磊嚴《らいがん》盡《こと/″\》く貔貅《ひきう》たり。然《しか》りとは雖《いへど》も、雁金《かりがね》の可懷《なつかしき》を射《い》ず、牡鹿《さをしか》の可哀《あはれ》を刺《さ》さず。兜《かぶと》は愛憐《あいれん》を籠《こ》め、鎧《よろひ》は情懷《じやうくわい》を抱《いだ》く。明星《みやうじやう》と、太白星《ゆふつゞ》と、すなはち其《そ》の意氣《いき》を照《て》らす時《とき》、何事《なにごと》ぞ、徒《いたづら》に銃聲《じうせい》あり。拙《つたな》き哉《かな》、驕奢《けうしや》の獵《れふ》、一鳥《いつてう》高《たか》く逸《いつ》して、谺《こだま》笑《わら》ふこと三度《みたび》。
十二月《じふにぐわつ》
大根《だいこん》の時雨《しぐれ》、干菜《ほしな》の風《かぜ》、鳶《とび》も烏《からす》も忙《せは》しき空《そら》を、行《ゆ》く雲《くも》のまゝに見《み》つゝ行《ゆ》けば、霜林《さうりん》一寺《いちじ》を抱《いだ》きて峯《みね》靜《しづか》に立《た》てるあり。鐘《かね》あれども撞《つ》かず、經《きやう》あれども僧《そう》なく、柴《しば》あれども人《ひと》を見《み》ず、師走《しはす》の市《まち》へ走《はし》りけむ。聲《こゑ》あるはひとり筧《かけひ》にして、巖《いは》を刻《きざ》み、石《いし》を削《けづ》りて、冷《つめた》き枝《えだ》の影《かげ》に光《ひか》る。誰《た》がための白《しろ》き珊瑚《さんご》ぞ。あの山《やま》越《こ》えて、谷《たに》越《こ》えて、春《はる》の來《きた》る階《きざはし》なるべし。されば水筋《みづすぢ》の緩《ゆる》むあたり、水仙《すゐせん》の葉《は》寒《さむ》く、花《はな》暖《あたゝか》に薫《かを》りしか。刈《かり》あとの粟畑《あはばたけ》に山鳥《やまどり》の姿《すがた》あらはに、引棄《ひきす》てし豆《まめ》の殼《から》さら/\と鳴《な》るを見《み》れば、一抹《いちまつ》の紅塵《こうぢん》、手鞠《てまり》に似《に》て、輕《かろ》く巷《ちまた》の上《うへ》に飛《と》べり。
[#地より5字上げ]大正九年一月―十二月
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:米田進
2002年4月24日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング