《むご》い事を知らぬものは、何と殿、殿たちにも結構に、重宝にあろうが、やいの、のう、殿。)
(何とでも言え、対手《あいて》にもならん。それでも何か、そういうものは人間か。)
 と吐出すように子爵が言った。」

       二十五

「ト其奴《そいつ》が薄笑いをしたようで、
(何じゃ、や、人間らしく無いと言うか。誰が人間になろうと云うた。殿たち、人間がさほど豪《えら》いか、へ、へ、へ、)
 とさげすんで、
(この世のなかはの、人間ばかりのもので無い。私等《わしら》が国はの、――殿、殿たちが、目の及ばぬ処、耳に聞えぬ処、心の通わぬ処、――広大な国じゃぞの。
 殿たちの空を飛ぶ鳥は、私等《わしら》が足の下を這廻《はいまわ》る、水底《みなそこ》の魚《うお》が天翔《あまか》ける。……烏帽子《えぼし》を被《かぶ》った鼠、素袍《すおう》を着た猿、帳面つける狐も居る、竈《かまど》を炊く犬も居《お》る、鼬《いたち》が米《こめ》舂《つ》く、蚯蚓《みみず》が歌う、蛇が踊る、……や、面白い世界じゃというて、殿たちがものとは較べられぬ。
 何――不自由とは思わねども、ただのう、殿たち、人間が無いに因って、時々来ては攫《さら》えて行《ゆ》く……老若男女《ろうにゃくなんにょ》の区別は無い。釣針にかかった勝負じゃ、緑の髪も、白髪《しらが》も、顔はいろいろの木偶《でく》の坊。孫等《まごども》に人形の土産じゃがの、や、殿。殿たち人間の人形は、私等が国の玩弄物《おもちゃ》じゃがの。
 身代りになる美《よ》い婦《おんな》なぞは、白衣《びゃくえ》を着せて雛《ひな》にしょう。芋殻《いもがら》の柱で突立《つった》たせて、やの、数珠《じゅず》の玉を胸に掛けさせ、)
 いや、もう聞くに堪えん。
(まあ、面を取れ、真面目《まじめ》に話す。)と子爵が憤ったように言う。
(面、)
(面だ。)
 面だ、面だ、と囁《ささや》く声が、そこここに、ひそひそ聞えた。眠らずにいた連中には、残らず面に見えたらしい。
 成程、そう言えば、端近へ出てから、例の灯《あかり》の映る、その扁平《ひらった》い、むくんだ、が瓜核《うりざね》といった顔は、蒼黄色《あおきいろ》に、すべすべと、皺《しわ》が無く、艶《つや》があって、皮|一重《ひとえ》曇った硝子《ビイドロ》のように透通って、目が穴に、窪んで、掘って、眉が無い。そして、唇の色が黒い。気が着くと、ものを云う時も、奴《やつ》、薄笑《うすわらい》をする時も、さながら彫刻《ほりつ》けたもののようで静《じっ》としたッきり、口も頬もビクとも動かぬ。眉……眉はぬっぺりとして跡も無い、そして、手拭《てぬぐい》を畳んだらしいものを、額下りに、べたん、と頭へ載せているんだ。
(いや、いや、)
 と目鼻の動かぬ首を振って、
(除《と》るまい、除らぬは慈悲じゃ。この中には、な、画《え》を描《か》き彫刻《ほりもの》をする人もある、その美しいものは、私等《わしら》が国から、遠く指《ゆびさ》す花盛《はなざかり》じゃ、散らすは惜しいに因って、わざと除らぬぞ!……何が、気の弱い此方《こなた》たちが、こうして人間の面を被《かぶ》っておればこそ、の、私《わし》が顔を暴露《むきだ》いたら、さて、一堪《ひとたま》りものう、髯《ひげ》が生えた玩弄物《おもちゃ》に化《な》ろうが。)
(灯《あかり》を点《つ》けよう、何しろ。)
 と、幹事が今は蹌踉《よろ》けながら手探りで立とうとする。子爵が留めて、
(お待ちなさい。串戯《じょうだん》も嵩《こう》じると、抜差しが出来なくなる。誰か知らんが、悪戯《いたずら》がちと過ぎます。面は内証で取るが可《い》い、今の内ならちっとも分らん、電燈《でんき》を点《つ》けてからは消え憎《にく》くなるだろう。)
 子爵はどこまでも茶番だ、と信ずるらしい。
 ……後で聞くと、中には、対方《あいて》を拵《こしら》えて応答《うけこたえ》をする、子爵その人が、悪戯をしているんだ、と思ったのもあったんだ。
(明るさ、暗さの差別は無いが、の、の、殿、私《わし》がしょう事、それをせねば、日が出ましても消えはせぬが。)
(可《よし》、何をしに来たんだ、ここへ。……まあ、仮にそっちが言う通りのものだとすると。)
(されば、さればの、殿。……)
 とまた落着いたように、ぐたりと胸を折った、蹲《うずくま》った形が挫《ひしゃ》げて見えて、
(身代りが、――その儀《こと》で、やいの、の、殿、まだ「とりあげ」が出来ぬに因って、一つな、このあたりで、間に合わせに、奪《と》ろう!……さて、どれにしょうぞ、と思うて見入って、視《なが》め廻《まわ》いていたがやいの、のう、殿。)
 皆《みんな》、――黙った。
(殿、ふと気紛《きまぐ》れて出て、思懸《おもいがけ》のう懇《ねんごろ》申した験《しるし》じゃ、の、殿
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