で、あたかも宙に拡げたような、蚊帳のその裙《すそ》が、そよりと戦《そよ》ぐともしないのに、この座の人の動くに連れて、屋の棟とともに、すっと浮いて上ったり、ずうと行燈と一所に、沈んで下ったりする。
もう一つは同じ向側の、これは低い、幕の下に懸《かか》って、真暗《まっくら》な門《かど》へ、奥の方から幽かに明《あかり》の漏れるのが、戸の格子の目も疎《まばら》に映って、灰色に軒下の土間を茫《ぼう》と這《ほ》うて、白い暖簾《のれん》の断《ちぎ》れたのを泥に塗《まみ》らした趣がある。それと二つである。
その家は、表をずッと引込《ひっこ》んだ処に、城の櫓《やぐら》のような屋根が、雲の中に陰気に黒い。両隣は引手茶屋で、それは既に、先刻《さっき》中引けが過ぎる頃、伸上って蔀《しとみ》を下ろしたり、仲の町の前後《あとさき》を見て戸を閉めたり、揃って、家並《やなみ》は残らず音も無いこの夜更《よふけ》の空を、地《じ》に引く腰張の暗い板となった。
時々、海老屋の大時計の面《つら》が、時間《とき》の筋を畝《うね》らして、幽《かすか》な稲妻に閃《ひら》めき出るのみ。二階で便《たよ》る深夜の光は、瓦斯《がす》を合わせて、ただその三つの灯《ともしび》となる。
中のどれかが、折々|気紛《きまぐ》れの鳥影の映《さ》すように、飜然《ひらり》と幕へ附着《くッつ》いては、一同の姿を、種々《いろいろ》に描き出す。……
時しもありけれ、魯智深が、大《おおい》なる挽臼《ひきうす》のごとき、五分刈頭を、天井にぐるりと廻して、
「佐川さんや、」
と顔は見えず……その天井の影が動く。話の切目で、咳《しわぶき》の音も途絶えた時で、ひょいと見ると誰の目にも、上にぼんやりと映る、その影が口を利くかと思われる。従って、声もがッと太く渦巻く。
「変に静まりましたな、もって来いという間《ま》の時じゃ、何ぞお話し下さらんか。宵からまだ、貴下《あなた》に限って、一ツも凄《すご》いのが出ませんでな、所望ですわ。」
成程、民弥は聞くばかりで、まだ一題も話さなかった。
「差当り心当りが無いものですから、」
とその声も暗さを辿《たど》って、
「皆さんが実によく、種々《いろいろ》な可恐《おそろし》いのを御存じです。……確《たしか》にお聞きになったり、また現に逢《あ》ったり見たりなすっておいでになります。
私は、又聞きに聞いたのだ
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