、仲の町が夜の舞台で、楽屋の中入《なかいり》といった様子で、下戸《げこ》までもつい一口|飲《や》る。
八畳一杯|赫《かッ》と陽気で、ちょうどその時分に、中びけの鉄棒《かなぼう》が、近くから遠くへ、次第に幽《かす》かになって廻ったが、その音の身に染みたは、浦里時代の事であろう。誰の胸へも響かぬ。……もっとも話好きな人ばかりが集ったから、その方へ気が入って、酔ったものは一人も無い。が、どうして勢《いきおい》がこんなであるから、立続けに死霊《しりょう》、怨霊《おんりょう》、生霊《いきりょう》まで、まざまざと顕《あらわ》れても、凄《すご》い可恐《こわ》いはまだな事――汐時《しおどき》に颯《さっ》と支度を引いて、煙草盆《たばこぼん》の巻莨《まきたばこ》の吸殻が一度|綺麗《きれい》に片附く時、蚊遣香《かやりこう》もばったり消えて、畳の目も初夜過ぎの陰気に白く光るのさえ、――寂しいとも思われぬ。
(あら可厭だ)……のそれでは無い。百万遍の数取りのように、一同ぐるりと輪になって、じりじりと膝を寄せると、千倉ヶ沖の海坊主、花和尚の大きな影が幕をはびこるのを張合いにして、がんばり入道、ずばい坊、鬼火、怪火《あやしび》、陰火の数々。月夜の白張《しらはり》、宙釣りの丸行燈《まるあんどう》、九本の蝋燭《ろうそく》、四ツ目の提灯《ちょうちん》、蛇塚を走る稲妻、一軒家の棟を転がる人魂《ひとだま》、狼の口の弓張月、古戦場の火矢の幻。
怨念《おんねん》は大鰻《おおうなぎ》、古鯰《ふるなまず》、太岩魚《ふといわな》、化ける鳥は鷺《さぎ》、山鳥。声は梟《ふくろ》、山伏の吹く貝、磔場《はりつけば》の夜半《よわ》の竹法螺《たけぼら》、焼跡の呻唸声《うめきごえ》。
蛇ヶ窪の非常汽笛、箒川《ほうきがわ》の悲鳴などは、一座にまさしく聞いた人があって、その響《ひびき》も口から伝わる。……按摩《あんま》の白眼《しろめ》、癩坊《かったい》の鼻、婆々《ばばあ》の逆眉毛《さかまつげ》。気味の悪いのは、三本指、一本脚。
厠《かわや》を覗《のぞ》く尼も出れば、藪《やぶ》に蹲《しゃが》む癖の下女も出た。米屋の縄暖簾《なわのれん》を擦れ擦れに消える蒼《あお》い女房、矢絣《やがすり》の膝ばかりで掻巻《かいまき》の上から圧《お》す、顔の見えない番町のお嬢さん。干すと窄《すぼ》まる木場辺の渋蛇の目、死んだ頭《かしら》の火事見舞は
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