かく、まあ、母に逢って下さい、お位牌《いはい》に逢っておくれ。撮写《うつす》のは嫌だ、と云って写真はくれず、母はね、いまわの際まで、お友さん、姉さま、と云ってお前に逢いたがった。(声くもる)そして、現《うつつ》に、夢心《ゆめごこち》に、言いあてたお前の顔が、色艶《いろつや》から、目鼻立まで、そっくりじゃないか。さあ。(位牌を捧げ、台に据う。)
白糸 (衣紋《えもん》を直し、しめやかに手を支《つか》う)お初に……(おなじく声を曇らしながら、また、同じように涙ぐみて、うしろについ居る撫子を見て、ツツと位牌を取り、胸にしかと抱いて、居直って)お姑様《しゅうとさん》、おっかさん、たとい欣さんには見棄てられても、貴女にばかりは抱《だき》ついて甘えてみとうござんした。おっかさん、私ゃ苦労をしましたよ。……御修業中の欣さんに心配を掛けてはならないと何にも言わずにいたんです。窶《やつ》れた顔を見て下さい。お友、可哀想に、ふびんな、とたった一言《ひとこと》。貴女がおっしゃって下さいまし。お位牌を抱けば本望です。(もとへ直す)手も清めないで、失礼な、堪忍して下さいまし。心が乱れて不可《いけ》ません。またお目にかかります。いいえ、留めないで。いいえ、差当った用がござんす。
[#ここで字下げ終わり]
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思切りよくフイと行《ゆ》くを、撫子|慌《あわただ》しく縋《すが》って留《とど》む。白糸、美しき風のごとく格子を出でてハタと鎖《とざ》す。撫子指を打って悩む。
[#ここで字下げ終わり]
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欣弥 (続いて)私は、俺《おれ》は、婦《おんな》の後へは駈出《かけだ》せない、早く。
撫子 (ややひぞる。)
欣弥 早く、さあ早く。
撫子 (門《かど》を出で、花道にて袖を取る)太夫さん……姉さん。
白糸 お放し!
撫子 いいえ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]大正五(一九一六)年二月



底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十六巻」岩波書店
   1942(昭和17)年10月15日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:忠夫今井
2003年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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