どちらから。
白糸 不案内のものですから、お邸が間違いますと失礼です。この村越様は、旦那様のお名は何とおっしゃいますえ。
その はい、お名……
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云いかけて引込《ひっこ》むと、窺《うかが》いいたる、おりくに顔を合せる。
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りく 私、知っててよ。(かわって出づ)いらっしゃいまし。
白糸 おや。(と軽く)
りく あの、お訊《たず》ねになりました、旦那様のお名は、欣弥様でございますの。
白糸 はあ、そしてお年紀《とし》は……お幾つ。
りく あのう、二十八九くらい。
白糸 くらいでは不可《いけ》ませんよ。おんなじお名でおんなじ年くらいでも……の、あの、あるの、とないの、とは大変、大変な違いなんですから。
りく あの、何の、あるのと、ないのと、なんです。
白糸 え
りく 何の、あるのと、ないの、とですの?
白糸 お髯《ひげ》。
りく ほほほ、生やしていらっしゃるわ。
白糸 また、それでも、違うと不可《いけな》い。くらいでなし、ちゃんと、お年紀を伺いとうござんすね。
りく へい。
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けげんな顔して引込むと、また窺いいたる、おその、と一所に笑い出して、二人ばたばたと行って襖際へ……声をきき知る表情にて、衝《つ》と出づる欣弥を見るや、どぎまぎして勝手へ引込む。
村越。つつと出で、そこに、横を向いて立ったる白糸を一目見て、思わず手を取る。不意にハッと驚くを、そのまま引立《ひった》つるがごとくにして座敷に来り、手を離し、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》とすわり、一あしよろめいて柱に凭《よ》る白糸と顔を見合せ、思わずともに、はらはらと泣く。撫子、襖際に出で、ばったり通盆を落し、はっと座ると一所に、白糸もトンと座につき、三人ひとしく会釈す。
欣弥、不器用に慌《あわただ》しく座蒲団《ざぶとん》を直して、下座《しもざ》に来り、無理に白糸を上座《じょうざ》に直し、膝を正し、きちんと手をつく。
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欣弥 一別以来、三年、一千有余日、欣弥、身体、髪膚《はっぷ》、食あり生命あるも、一《いつ》にもって、貴女の御恩……
白糸 (耳にも入《い》らず、撫子を見詰む。)
撫子 (身を辷《すべ》らして、欣弥のうしろにちぢみ、斉《ひと》しく手を支《つ》く。)
白糸 (横を向く。)
欣弥 暑いにつけ、寒いにつけ、雨にも、風にも、一刻もお忘れ申した事はない。しかし何より、お健《すこやか》で……
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白糸、横を向きつつ、一室の膳に目をつける。気をかえ煙草《たばこ》を飲まんとす。火鉢に火なし。
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白糸 火ぐらいおこしておきなさいなね、芝居をしていないでさ。
欣弥 (顔を上げながら、万感胸に交々《こもごも》、口|吃《きっ》し、もの云うあたわず。)
撫子 (慌《あわただ》しく立ち、一室なる火鉢を取って出づ。さしよりて)太夫さん。
白糸 私は……今日は見物さ。
欣弥 おい、お茶を上げないかい。何は、何は、何か、菓子は。
撫子 (立つ。)
白糸 そんなに、何も、お客あつかい。敬して何とかってしなくっても可《よ》うござんす。お茶のお給仕なら私がするわ。
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勝手に行《ゆ》くふり、颯《さっ》と羽織を脱ぎかく。
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欣弥 飛んでもない、まあ、どうか、どうか、それに。
白糸 ああ、女中のお目見得《めみえ》がいけないそうだ。それじゃ、私帰ります。失礼。
欣弥 (笑う)何を云うのだ、帰ると云ってどこへ帰る。あの時、長野の月の橋で、――一生、もう、決して他人ではないと誓ったじゃないか。――此家《ここ》へ来てくれた以上は、門も、屋根も、押入も、畳も、その火鉢も、皆《みんな》、姉《ねえ》さんのものじゃないか。
白糸 おや、姉さんとなりましたよ。誰かに教《おそわ》ったね。だあれかも、またいまのようなうまい口に――欣さん、門も、屋根も押入も……そして、貴女《あなた》は、誰のもの?
欣弥 (無言。)
白糸 失礼!(立つ。)
欣弥 大恩人じゃないか、どうすれば可《い》い。お友さん。
白糸 恩人なんか、真ッ平です。私は女中になりたいの。
欣弥 そんな、そんな無理なことを。
撫子 太夫さん。(間)姉さん、貴女は何か思違いをなすってね。
白糸 ええ、お勝手を働こうと思違いをして来ました。(投げたように)お目見得に、落第か、失礼。
欣弥 ええ、とに
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